志村 昌美

今井美樹「走れるうちは走ったほうがいい」ネガティブな気持ちに囚われない生き方

2022.9.2
日本にはこれからも受け継いでいきたい伝統や文化が数多くありますが、そのひとつに挙げられるのは、450年以上の歴史を誇る紅花。現在は日本農業遺産にも認定されているものの、継承の危機に瀕しながら、山形の小さな農村で密かに守られてきました。そんな知られざる真実を収めたドキュメンタリー『紅花の守人 いのちを染める』がまもなく公開。そこで、こちらの方にお話をうかがってきました。

今井美樹さん

【映画、ときどき私】 vol. 517

本作には、ナレーションとして参加することになった今井さん。紅花栽培の工程が描かれている1991年公開のアニメーション映画『おもひでぽろぽろ』では、主人公タエ子の声を務めていたことでも知られています。今回は、作品を通して強まった紅花への思いや60歳を目前にしたいまの心境、そして若い世代に伝えたいアドバイスなどについて語っていただきました。

―まずは、オファーがあったときのお気持ちからお聞かせください。

今井さん 最初は、「私が紅花の映画に!?」とすごく驚きました。でも、私というよりも、タエ子ちゃんが呼ばれたんだなと。『おもひでぽろぽろ』という作品は、自分が思っている以上にいまでもたくさんの方の心に強く残っている映画なんだと改めて実感しました。

―今井さんにとって、タエ子はどんな存在ですか?

今井さん 30年前の私はタエ子ちゃんとほぼ同じ年でしたが、20代後半くらいの頃は自分のことでいっぱいいっぱいなので、近くにいてくれる人のことがよく見えていないことってありますよね? タエ子ちゃんは、まさにそんな存在だったのかなと。タイプは全然違いますが、年齢を重ねれば重ねるほど、あのときのタエ子ちゃんを愛おしく感じています。

ただ、実は当時の私には、なぜ彼女が紅花摘みに参加したのかはわかりませんでした。でも、思い通りにならない自然と向き合うことは、強い意志を持っていないとできないこと。だからこそ、自分がわからなくなっている女の子が自分を取り戻すために、高畑勲監督が紅花と引き合わせたんだろうなといまはそう思っています。

継続しているものは、漫然と続いてきたわけではない

―なるほど。また、本作では紅花の作業工程や歴史など、普段なかなか見ることができない様子が丁寧に映し出されていて、非常に興味深かったです。

今井さん 恥ずかしながら、私自身も知らないことだらけでした。「日本に昔からある文化のひとつですよね」と言いながら、当たり前にある色合いだと思っていましたし、意味合いも知ったつもりになっていましたが、こんなにも大変だったとは……。

紅花に限ったことではありませんが、継続しているものというのは、ただ漫然と続いてきたわけではなく、いろんな人が陰になり日向になって努力をしてきたから。そのためには、たくさんの方の愛情と労力が必要なんだと感じました。今回のように映画という形にしてもらうことによって、いまの私たちだけでなく、後世にもきちんと伝えられるのはよかったなと思います。

―そのなかでも、印象に残っていることはありましたか?

今井さん それはもう、全部です! 本当に初めてのことばかりだったので。ただ、これだけ手がかかることなんだというのは驚きました。実際、作っている方も「じゃじゃ馬娘みたいで扱いづらい」と言っているほどですから。でも、やっぱり色が素晴らしいので、手塩にかけて育てていくのにふさわしいというか、憑りつかれてしまうんでしょうね。そういうものに出会った人の苦悩と幸せというのは、そこに向き合った人にしかわからないものだと思います。

傷だらけになりながら生産している人たちのすごさがなかなか一般の人たちに伝わらないのは切ないですが、紅花を使った製品から別のストーリーが生まれ、毛細血管が広がっていくようにいろんな時代と場所に恩恵が広がっていくのを感じました。

もっと胸を張って世界に打ち出したほうがいい

―山形の景色など、懐かしさを感じる部分もあったのではないでしょうか。

今井さん 思い出したのは、『おもひでぽろぽろ』のなかで、朝早くに紅花摘みをしているシーン。だんだんと周りが朝日に包まれていく様子が描かれているのですが、本作のなかで同じような映像があり、こんなにも忠実に再現していたのかと驚きました。

実際、完成した『おもひでぽろぽろ』を試写で観たとき、そのシーンでは声が上がったほどでしたから。あの一帯でしか見ることができない美しい自然の一部なので、現地で本物を見たらきっと胸がいっぱいになるんだろうなと思いました。

―本作をきっかけに、紅花に対する見方が変わる方も増えるのではないかなとも感じました。

今井さん 私自身もこれまでに巾着やお守り袋とか、紅花を使った製品を手にしているはずですが、「紅花じゃないかな?」と思うくらいで、その特別さに気がついていませんでした。特に、日本人というのは謙虚なので、宣伝するのが下手ですからね。大げさにアピールしないまでも、もっと胸を張って世界に向けて打ち出してもいいものだと思っています。

「言わなくてもわかってもらえる」みたいに、わかってくれる人だけを相手にしているとつなげていくことができないので、続けていくためにどうしたらいいかを考える必要はあるのかもしれません。一度終わってしまったら、そのままなくなってしまうものがあまりにも多いので。受け継いでくれる人を育てるのは難しいことですが、喜びがないと携わってくれる人も少なくなってしまうので、喜びを見い出しながら人に伝えていくことの大切さを改めて考えさせられました。

走れるうちに走っておいてよかったと感じる

―そうですね。『おもひでぽろぽろ』からは30年以上が経ちますが、改めて振り返ってみていかがですか?

今井さん 私は住まいをイギリスに移したので、大きく路線変更したように思われますが、まだまだ旅の最中ですね。みなさんも一人一人が自分だけの旅を続けているので、それと同じですが、生きるということは変化していくこと。そのなかで、自分らしさをキープするための努力も必要だと思っています。同じ日は繰り返されないので、いまでも新しい毎日にドキドキしてしまうほど。それは、航海しているのと似ていると感じています。

たとえば、昔は毎日という目の前の道を瞬発力だけで走れていたけど、だんだん足がもつれてくる。そのときにこれまで蓄えてきた自分の感性や経験、そして反省や学習したことをどう生かしていくのかにかかっているのかなと。でも、今年の4月で59歳になったときに気が楽になったんです。おそらく来年は還暦ということもあって、嫌でも周りから年齢を自覚させられる年になりそうですが(笑)。でも、その一歩手前の中途半端ないまが意外と快適だなと感じています。

―ananweb読者に向けて、20代や30代の過ごし方について、ぜひアドバイスをいただきたいです。

今井さん 私がその世代の頃は、仕事のために生きているようなところがあったので、「もっと勉強しておけばよかったな」とか「もっと体に気をつければよかったな」とかそういうことは山ほどあります。でも、振り返ると「走れるときに走っておいてよかったな」という気持ちです。やっぱりスタートダッシュできるときは、どこまで走れるかにチャレンジしたほうがいいのかなと。いまだったら、スタートした途端に転んでしまいそうですから(笑)。

もちろん、私たちの頃とは時代が違いますが、子どもから10代になり、社会に出ていろんな経験を積んでいくなかで、「自分は何をしたいのか?」とわからないまま毎日を生きていくことがあるかもしれません。それでも、前に進まないといけないので、走れるうちは走ったほうがいい、と元体育会系の私は思います(笑)。

何かのせいにしていることをやめると、風通しがよくなる

―その当時の今井さんは、どんな意識を持っていましたか?

今井さん 私にも生意気な時期があったので、そのときは取材でも「人の意見は一切聞かなくていい」と読者の方にアドバイスしていたこともありました(笑)。でも、実際にいくらすごい名言があっても、タイミングが合わなければ入ってこないものは入ってこないので、まずはできるだけ自分の“アンテナ”を磨くことが大事かなと思います。

―そういう時期に、救いになった言葉などもあったのでしょうか。

今井さん 私もいままで仕事でもプライベートでもいっぱい転んで泣いたこともたくさんありますし、逆に感謝していることもたくさんあります。でも、ある時期からひとつだけ思っているのは、「人のせいにしない」です。自分が予想していた結果にならなかったときでも、「あの人がこうしたから」とかではなく、「それを自分が拒否しなかったんだ」とか「それを選んだのは自分だから。じゃあどうする?」と考えるようになりました。なぜかというと、人を恨むことはものすごくエネルギーのいることですからね。

そんなネガティブな気持ちに囚われるよりも、「知らなかった私がダメだったんだよね。これで学習したから次!」のほうがいいんじゃないかなと。決してすべてを背負えばいいと言っているわけではなくて、何かのせいにしていることをやめてみると風通しがよくなるので、それを知ってほしいです。「人のせいにしない」。これは学校の制服の内ポケットに刺繍しておいてもいいんじゃないかな(笑)。

嫌なことも蓋をせずに、自分自身を知ることが大切

―そういう前向きな心がけが、いつまでも変わらない秘訣のひとつなんですね。

今井さん いやいや、それが変わるんですよ(笑)。実際、以前のようにいかなくて苦しくなった時期もありました。でも、そのときの自分は体力的にもビジュアル的にも昔の自分とは同じではないので、比べること自体が不毛だと数年前から考え始めるようになったのです。

今回の紅花もそうですが、いろいろと変化していくなかで、毎年いい状態をキープするのに欠かせないのは、ものすごい労力と強い意志。私たちも歳を重ねることで変化をするのは当然ですが、できるだけ自分らしくいるためには覚悟も必要になってくると思います。かつての自分と一緒ではないと感じたり、足がもつれて走れなくなったりするときがいずれ来ますが、それも「変わっちゃった」ではなく、「じゃあどうすればいいかな?」と考えてほしいですね。

―それでは最後に、今井さんのように素敵に歳を重ねたいと思うananweb読者にメッセージをお願いします。

今井さん 日本の女の子たちは、30歳になると落ち込みますが、30歳って花が一気に咲き始める頃。大変なのはそのあとですから(笑)。まず意識してほしいのは、自分をちゃんと見つめること。もしうまくいかなければ、それなりの理由があるはずなので、慌てずちゃんと対策をする。

そこで嫌なことに蓋をしてしまうと、わからないままそれが雪だるま式に大きくなってしまうだけですから。怖がるのではなく、自分自身をその都度知ることのほうがポジティブで大切だと思っています。

インタビューを終えてみて……。

終始優しい笑顔を浮かべ、前向きなオーラがひしひしと伝わってくる今井さん。年齢を聞いて思わず驚いてしまいましたが、いつまでも輝き続けている理由がよくわかる取材でした。ためになるアドバイスの数々は、しっかりと自分のものにしたいところです。

美しい紅花の裏に隠された苦労と喜びを知る!

これまであまり語られてこなかった知られざる歴史にはじまり、紅花によって生み出される奇跡の瞬間が詰まった感動のドキュメンタリー。文化を継承する重みを学ぶだけではなく、伝統を守り続ける人たちの真摯な姿に同じ日本人としても心を動かされるはずです。


写真・山本嵩(今井美樹) 取材、文・志村昌美 

ストーリー

室町時代に中近東からシルクロードを経て中国に渡り、日本に伝わってきた紅花。皇室で珍重されたその色は、安価な化学染料の台頭だけでなく、第二次世界大戦中に国によって栽培を禁止され、継承の危機に瀕していた。ところが、山形の小さな農村の片隅で密かに守り継がれていたことによって、いまでは世界的な農業遺産として注目され始めている。

多くの人が手間暇を惜しまず栽培して生まれた紅の染料からは、ごくわずかな紅色しか取ることができない。利便性から遠く離れているにもかかわらず、紅花文化を慈しみながら守り継ぐ人々の姿。4年という長い歳月をかけて記録された奇跡の物語とは……。

魅了される予告編はこちら!

作品情報

『紅花の守人 いのちを染める』
9月3日(土)より、ポレポレ東中野ほか全国順次公開
配給:株式会社UTNエンタテインメント
https://beni-moribito.com/
️©映画「紅花の守人」製作委員会