表現の自由はどこまで許される? 創作と性加害をめぐるコミック『恋じゃねえから』

2022.7.11
前作『1122(いいふうふ)』では、公認不倫を選択した夫婦の顛末を描き、無自覚に抱いていた価値観を大きく揺さぶってくれた、渡辺ペコさん。本作『恋じゃねえから』はその連載時から「長く気になっていた」といういくつかの事象をモチーフにしている。ひとつは、タイトルにも冠している「恋」について。

「恋だから」「アートだから」とないがしろにされてきたこと。

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「ドラマなどが顕著だと思うのですが、フィクションにおいて恋愛があまりにも重要視されているように感じるのです。そんなにみんな、恋に重きを置いているのかな? それって幻想みたいなものなんじゃないかな? と気になっていました」

もうひとつは「表現者のエゴ」。

「メディアにアクセスする手段を持っている作家は、新しい作品を発表することで、関心のあることや自分の意見を更新できますよね。だけど望まない形でその作品のモデルにされた人は、ずっと晒され続け、搾取され続けてしまう。私自身が年齢を重ねるにつれ、そのことに疑問と危うさを感じるようになったんです」

恋と芸術的表現に共通しているのは、感覚を優先しがちな点。

「どちらも異を唱えたり、言葉で説明しようとすると、野暮だとか頭が固いと思われがちですよね。しかもこのふたつが組み合わさると、近くにいる人も口を出せなくなるような構図があると思うのです。手放しに称賛することで何を損ない、何を強化するのか考えたいと思いました」

物語で最初に登場するのは、40歳の主婦・茜。家事の傍ら、フリーで翻訳の仕事をしているのだが、この年齢にして入れ歯だったり、午前中から日本酒をあおったり、どこか穏やかでない。あるとき、中学時代の塾講師・今井が彫刻家になったことを知り、彼が発表した裸の少女像が、かつての親友・紫(ゆかり)によく似ていることに気づく。茜が知る限り、ふたりは恋愛関係だったが、ある出来事に対して後悔の念を抱き続けていた彼女は、26年ぶりに紫と連絡を取り、今井の作品の存在を伝える。

「少女の紫と中年になった紫は同一人物ですけど、かたや少女時代はミューズのように形に残され、もてはやされるのに、年を取ったら彼女の発する言葉さえ大事にされない。だけど、少女だった彼女が今井に大事にされていたかというと、それはまた別だったりもしますよね。向かい合っているのに言葉が届かない、そんな状態だったのだと思います」

表現の自由はどこまで許されるのか。先生と生徒の禁断の恋、なかったことにされる小さな声、傍観することの罪、年齢で変わる女性の扱われ方……。曖昧に流されてきた物事をひとつずつ考える時間が、動き出したばかりの物語に詰まっている。

渡辺ペコ『恋じゃねえから』1 「作品」にされたことで蘇る、26年前の記憶。無名の中年女性ふたりの声は、“有名作家”と彼を取り巻く人たちに届くのか。創作と性加害をめぐる問題作。講談社 726円

わたなべ・ぺこ マンガ家。2004年『YOUNG YOU COLORS』にて「透明少女」でデビュー。主な作品に『ラウンダバウト』『にこたま』『1122』など。

※『anan』2022年7月13日号より。写真・中島慶子 インタビュー、文・兵藤育子

(by anan編集部)