危機を乗り越えた中村一義「音楽をやめていたかも」新作完成までの苦悩

写真・角戸菜摘 取材、文・かわむらあみり — 2020.2.4
音楽をこよなく愛する、ライター・エディター・コラムニストのかわむらあみりです。【音楽通信】第27回目に登場するのは、1997年のデビュー当時から音楽シーンで“天才”と絶賛され、今回最新作を発表される、シンガーソングライターの中村一義さん!

「状況が裂いた部屋」で音楽が生まれた

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愛犬のゴンちゃんと中村一義さん。賢くて人懐こいゴンちゃんも『ananweb』に初登場!

【音楽通信】vol. 27

1997年1月、1stシングル「犬と猫」でメジャーデビューし、6月に1stアルバム『金字塔』を発表された中村一義さん。まだ自宅録音がメインではなかった時代から、すべての楽器をひとりで演奏するという類稀なる才能とセンスは、音楽評論家をはじめ多くのリスナーから絶賛され、いまもなおミュージシャンたちに影響を与え続けています。

その後、バンド「100s(ひゃくしき)」での活動後、中村一義名義での活動を再始動し、現在は多方面で活躍するメンバーが集結したバンド「海賊(かいぞく)」とともに、ライブ活動を展開。これまでにソロ名義とバンド名義合わせて、9枚のオリジナルアルバムを発表しています。

そんな中村さんが、2020年2月5日に10枚目となるアルバム『十(じゅう)』をリリースされるということで、お話をうかがいました。

ーー以前、ご自宅の一室を「状況が裂いた部屋」と名付けて、プライベートスタジオとして活用されていましたね。まず、23年前のデビュー以前のお話から、中村さんの活動を振り返らせてください。

中学生のときに名付けた「状況が裂いた部屋」というスタジオですね。ひいおじいちゃんが、祖父と祖母が食えなくなったときのことを考えて家を貸せるように、昔の木造アパートのような家を作ったんですが、その一室に作りました。僕の両親が離婚して、僕はどっちにもつかない選択をしたので、父親は今までどおり離婚する前の家で生活をして、僕だけが祖父母の木造アパートのような家の2階の部屋をあてがわれたんです。

通常のスタジオには、ブースとコントロールルームがあるんですが、その部屋は、壁をとっぱらってリフォームされた造りになっていて、まさにそれでした。だから「これはスタジオにできる」と思ったんです。

高校を卒業してから、「ここで集中して音楽をやろう」と決心して、部屋をスタジオ化しました。ザ・ビートルズが使っているものと同じ楽器を揃えたくて、祖母にお金を借りるなど工面して、徐々にスタジオ化していったんです。この部屋で、デモテープをレコーディングしていた期間があって、そのときに完成したデモテープが、デビューのきっかけになったんですよね。

『金字塔』を作り終わったらやめようと思っていた

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ーー実際にデビューされてからは、どのような心境だったのですか。

デビューした頃は、1枚目のアルバム『金字塔』を作り終わったら、やめようと思っていたんです。でも、大人の事情など、いろいろとありますから、その後も続けることになって。そこから、ほかのミュージシャンとの出会いも広がっていきました。

当時はひとりでしたし、ライブ活動は頭にありませんでした。レコーディングも全部、ひとりでやっていたので、ライブをするにしても「このドラムじゃないとやっぱりダメだな」「でも自分ひとりしかいないからなあ」と思っていたんです。

デビュー後、ひとりでアルバムを3枚作ったんですが、ゲストミュージシャンには参加してもらっていました。そんななかで、「いつか自分のバンドメンバーになってくれるような人と出会えるかも」と心のどこかで思いながら、「いつかライブができないかな」と考えるようになっていったんです。

ーーその頃に、後にバンド「100s」になるメンバーと出会って、バンド形態での活動へと展開していきます。

2001年に、100sのメンバーと出会って、そこからライブをやるようになりましたね。100sは、歳が近いメンバーばかりなので、楽しさ全開でした。基本年中ふざけていましたが、レコーディングはちゃんと引き締めてかかるという、メリハリのあるバンド。僕もバンドのプロデュースを初めて経験しましたし、「みんなで勉強しよう」という雰囲気がありましたね。

そういった時期の後、100sでは『OZ』『ALL!!!!!!』『世界のフラワーロード』という3枚のアルバムを発表しています。100sのメンバーでキーボードを担当していて、現在レキシとして活動している池ちゃん(池田貴史さん)と、結成当初にラーメンをすすりながら、「アルバム何枚作る?」と話したんです。僕は「3枚だと思う」と言ったら、池ちゃんも「俺もそう思う」と。結果、その通りになりましたね。

とはいえ、その前の2002年に出したソロ名義のアルバム『100s』も、実際には100sのメンバーと一緒に作ったものなので、実質的には4枚ということになります。

ソロからバンド「100s」「海賊」との出会い

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ーー100sでの出会いは大きかったのですね。

そう思います。『フラワーロード』という、僕の地元である小岩の商店会「フラワーロード」から発信するような曲ができたり、レコーディングもできたりと達成感を得ましたね。100s結成当初から、メンバーとは「みんな個々でも名を上げていこうね」って話していたので、この頃にはすでにドラムを担当していたトム(玉田豊夢さん)やベースのヒロ(山口寛雄さん)は、音楽業界ではもうひっぱりだこでしたし。レキシも活躍していて、すごいと思っているし、自分のことのようにうれしいですね。

100sの活動が一区切りした後、そこからひとりに戻って、アルバム『対音楽』を作って、「ライブはどうしようかな」となって。最初は100sのギターを担当していたまっちぃ(町田昌弘さん)と、アコースティックスタイルで全国をまわってライブをしていました。

ーーその後、いまも一緒に演奏されているバンド「海賊」を結成されるのですね。

Hermann H.&The Pacemakers(ヘルマン・エイチ・アンド・ザ・ペースメーカーズ、略称ヘルマン)というバンドから、イベント出演の依頼があって、「ヘルマン大好きだから出たいけど、バンドがいない」という話になって。そこでヘルマンに「入っていい? 一緒にやっちゃおうか」という話をして、僕の楽曲をヘルマンとまっちぃでかためてもらったのが、バンド「海賊」の始まりです。

正式なバンド名は、「海賊」と付けたんですが、あれよあれよとメンバーが増えていきました。ずっと僕の仮歌をやってくれていたシンガーソングライターのあずままどか、ソロで活動していたヨースケ@HOME、僕のデビューの頃から珍しい曲を演奏するようなライブに必ず来てくれるキーボーディストの高野勲さん。

LOST IN TIMEなどのバンドをしている三井律郎くん、ドラムのマシータさんなど、メンバーはたくさんいます(笑)。それにTOMOTOMO clubという名前で海賊に参加していたトモくん(サトウトモノリさん)は、いまはすっかりヘルマンのメンバーになっていますし、シンガーソングライターの小谷美紗子さんも入ったりと、海賊は妖怪バンドになっていきましたね。

10枚目のオリジナルアルバム『十』はひとりで制作

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ーー2月5日に発表される10枚目のオリジナルアルバム『十』は、デビューアルバム『金字塔』と同じくすべての楽器を中村さんおひとりで演奏して録音される手法を取られていますが、原点回帰されたきっかけはあるのでしょうか。

ずっとオリジナルアルバムを作りたいと考えていましたが、『十』の曲をレコーディングしていくなかで、さまざまなことに危機感を覚える出来事があって、ひとりで作ろうと思ったんです。その危機感のひとつとしては、実際に台風被害に直面したこと。いま住んでいる家の地下にもスタジオがあるんですが、レコーディング中はマイクのセッティングがあるので、機材を出しっぱなしにしているんですよ。

レコーディング中のあるときに、YouTubeライブをさせてもらうことになって、スタジオで本番を待っていたら、海賊のギターの三井くんから「カズさん、江戸川が大変なことになりそうですよ」と情報が入りました。僕の住んでいる江戸川区に2日後、世界で類を見ないほどの台風がやってきて、川が氾濫して浸水被害が起こるというニュースがあったんです。

気になりながらもYouTubeライブをやって、終わってすぐに、1日かけて地下から地上階にすべての機材を運び込みました。スタジオにはいい値段のミキサーという機材もあって、それを担いでいるときにすごく重くて、「これは十字架だな」と思ったんです。「十のレコーディングはこういうことだったんだな」と悟りました(笑)。

結果として浸水被害は免れて無事だったんですが、被害に遭われた方の大変さを感じ、日々の有り難さも実感した出来事です。

ーー十字架は、タイトルの『十』の意味に関係するのでしょうか。

「十」にはいろいろな意味がありますよね。十字架の象徴の「死」や「永遠の生命」という意味でもあり、シンプルに数字の10でもあり、「十」をかたむけると“掛ける”になりますし、“バツ”かもしれないですし、言葉でいえば「自由(じゆう)」でもあります。それぞれに意味合いを想像させる言葉ということで『十』にしました。

佐内正史さんが撮影した『十』のジャケット写真もそうですが、生活のなかに、いろいろな「十」が潜んでいるんです。でもそれは「重いものではなく、実はポップなんだよ」と言いたくて。「十」というものへの考え方は歌詞で言っているから、歌詞を見ていただければ意味はわかると思います。

ーーデビューのときから中村さんとタッグを組まれている写真家の佐内正史さんは、「状況が裂いた部屋」も撮影されていましたよね。

佐内さんは、あの部屋を見て、僕のことを「宇宙人だと思った」と言っていました(笑)。

ーー以前、私も佐内さんとお仕事させていただいたことがありますが、佐内さんもどこか宇宙人的な超人さがある気がします。

だから、お互いに「同じにおいがする」と思ったんじゃないでしょうか(笑)。今回の『十』の写真は、佐内さんが約1年間にわたって撮りためた写真から選んでいますが、2018年12月にライブをしたときに佐内さんが来てくれたので、「次のアルバムは『十』です」とハッキリと伝えておいたんです。

そして、「佐内さんがいろいろなところに行かれると思うので、そこで見つけた『十』を撮っておいてください」と事前にお願いしていました。納得のいく『十』のジャケ写になっています。

「十」といえば“宇宙、自然、動物”を連想

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ーー昨年12月に開催されたバンドセットのワンマンライブにうかがいましたが、ライブ当日に完成したという『十』から、1曲目「叶しみの道」と、10曲目「愛にしたわ。」の2曲を披露されましたね。

『十』のテーマ感といいますか、テイスト感を知ってもらいたいなと思って、この2曲を演奏したんです。「愛にしたわ。」は浮遊しているような宇宙的なものですし、1曲目と10曲目を聴いてもらうことで、どういう作品になっているか、全体はアルバムを聴いて知ってもらいたいなと思っています。

ーー『十』のテーマ感というお話がありましたが、具体的にはどのようなものですか。

僕は「十」というと、“宇宙、自然、動物”などを連想するんです。そういうことも含めての“宇宙感”だったり、壮大に思えて夜になると星が見えたりする、実は日常から感じる簡単な話をテーマにしています。

ーー昨年末のライブでは、途中、中村さんが涙を見せていらしたことも印象的でした。

あの……海賊のメンバーのヨースケ@HOMEが、2019年の6月に亡くなったんです。彼のことを思い出していました。この『十』というアルバムに入っている「すべてのバカき野郎ども」という曲は、ヨースケ@HOMEの訃報があったときの状況を描写した歌詞を書いています。

いつも笑っているような、バカなやつだったんですよ。だから、歌詞の中でも言っていますが、いまもまだ死んだというのは信じられないんです。ふと電話がかかってくるんじゃないかと思ってしまうんですよね。急死だったから。みんなショックだったと思います。

ーー「すべてのバカき野郎ども」は、思い入れの深い曲になりますね……。

よく聴くと、歌声もちょっと、泣き声なんですよね……。曲は前からできていたんですが、歌詞を書こうとしたら、どうしてもヨースケのことが頭に浮かんできて、「これはヨースケの曲だ!」と思ってから、実際に歌詞を書くまで2、3か月かかりました。

「いつか叶う」と思いながら録音していた

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ーー危機感を覚えたというお話をされていましたが、中村さんご自身も、のどのご病気になって、歌が歌えなくなっていた時期があったんですよね。

そうなんですよ。歌が歌えなくなったら、音楽をやめようと思っていました。口腔カンジダ症といって、口の中や喉に白い膜ができてしまって。免疫が弱ったときになってしまう病気なんですが、医師からは「これ、本当だったら声出ないよ」と言われていました。それが2年半ぐらい前のことです。

その頃、海賊のメンバーの洋ちゃん(岡本洋平さん)はガンを治療、克服しています。みーちゃん(小谷美紗子さん)も、『十』のコーラス入れのレコーディング直前に、体調を崩してしまって。電話で、「大丈夫、僕がみーちゃんに成り代わって歌うよ」と伝えたんですが、なんとかレコーディング当日には参加してくれました。本当に満身創痍といいますか、ドラマチックなメンバーたちなんです。

ーー中村さんはじめ、メンバーのみなさんにもいろいろな出来事があった末に完成した、記念すべきアルバム『十』ですね。その後中村さんは、のどの調子はいかがでしょうか。

のどはかなりよくなりました。声が出ないときは、歌入れをすることができないから、あとまわしにしていたんですよね。ピッチもとりずらいし、やるからには、できるだけいい声のものを入れたいという思いがあるから。制作が遅れると、レーベルの方もリスナーの方もお待たせしちゃうし、すべてが「叶しみの道」でした(笑)。

でも、「いつか叶う」ということを思いながら、録っていましたね。レコーディングの最後の最後まで、困難も多かったのですが、年末のライブの日にやっと完成しました。

ーーアルバム全体の制作には、お時間をかけられたのですね。

すごく時間はかかりましたね。台風やいろいろな出来事がなかったら、もっと早くアルバムができていたのかなとも思います……が、出来事すべてが『十』につながっているのかなとも思います。

ーー『十』をリリース後は、全国ツアーもありますね。

3月1日から、アコースティックセットのライブツアー「中村一義 “十” acoustic Live tour 2020」で全国をまわって、さらに5月10日からバンドツアー「中村一義 “十” Live tour 2020」もあります。

休みの日はゴンと一緒にいろいろな町に散歩へ

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ーー今回、中村さんのホームタウンである東京都江戸川区の小岩で取材させていただいておりますが、他の町とは違う心地よさを感じますか。

やっぱり地元は落ち着きますよね。でも、とうとうこの町にも再開発の波が来てしまいました。ここはほかの町では見られないような路地がありますし、道の感じなども変なんですよね。子どもの頃は、それがいい意味で、サイケデリックで面白かったんです。だから、再開発されてしまうとどんなふうになるのか気になっていますね。

ーーお休みのときはどのように過ごしていますか。

ほとんどゴンと一緒に過ごしていますね。どこかに出かけて、気づいたら3、4時間も散歩していることがよくあります。僕は町の様子を見るのが好きだから、ゴンと一緒にあちこち行くのが楽しい。

例えば、光が丘という場所に、すごい公園があるんですが、まわっているだけでもけっこう時間がかかりますからね。そうやっていろいろな町へ出かけて、商店街をまわったり、町の感じを見たり、子どものときにワクワクしたようないい意味でのサイケデリックさを発見したりしています。

昼から出かけて、気づくと夜ご飯の支度をする時間になっているという感じ。それで家に帰ると、妻が事務所の仕事をしているので、自分の用意よりも先に、ゴンのメシの支度をします。家には猫も5匹いるので、そのメシの準備も僕が全部やっているんですよ。

家事をしていると、水仕事も多くて、ズボンが全部濡れちゃうんですよね。そこで、なんかいいアイデアはないかと思って「これだ!」とひらめいたのが、「丈の長いワンピースを着ちゃえばいいんだ」と。実際に丈の長いワンピースを服の上から着てみると、ローブや着物のようで、ちょっと足が濡れたりしても大丈夫だと思いました(笑)。

ーー中村さんがワンピースを着るのですか。

はい。民族衣装がテーマなんですよ。着物も丈が長いですし、そういうイメージで着ています。前はズボンが濡れるし風呂場の掃除をするのもいやで、ワンピースを着るのも何だなと思いながらも、着ると水よけになって掃除がはかどるので、機能には代えがたいですね(笑)。

ーー画期的な工夫だと思います(笑)! 最後に、今後の活動はどのようなビジョンを描かれていますか。

先のことはわからないですからねぇ。だから、日々、さまざまなことに対応して、しっかりと生きていくことが大切だと思っています。震災だったり、不意の出来事だったり、いつ何が起きるかわからないから。

そのときどきにちゃんとした自分でいることと、あとは出会いですね。人との出会いがひとつでも多いといいなと思っています。これからも家でワンピースを着て、家事をやりながら、生活していきたいなと思いますよ(笑)。

取材後記

よく晴れた昼下がり、愛犬のゴンちゃんと登場された中村一義さん。散歩中のワンちゃんに出会うと、自ら駆け寄っていくかわいいゴンちゃんに和みました。これまで中村さんの楽曲に何度も救われたことがあった私は、小岩の町におじゃまし、ここで名作『金字塔』や新作『十』などが誕生したかと思うと感慨深かったです。深い眼差しを持ち、日々を真摯に生きる中村さんのニューアルバムをまずはチェックしてみてくださいね。

中村一義 PROFILE

1975年2月18日、東京都江戸川区生まれ。1997年、シングル「犬と猫/ここにいる」でデビュー。セルフプロデュース、そしてすべての楽器をひとりで録音したデビューアルバム『金字塔』は独特な日本語詞と卓越したポップセンスにより、日本のロック・シーンに多大なインパクトを与えた。以降、アルバムごとに進化を遂げる多彩な音楽性と、緻密に構築された音世界は多くのリスナーを魅了。

2001年夏、中村一義名義での野外フェスティバル出演にあたり、中村一義(vo)を中心として、池田貴史(key)、町田昌弘(g)、小野眞一(g)、山口寛雄(b)、玉田豊夢(ds)が集結。2004年からこの6人によるバンド「100s」の活動を開始し、100s名義で3枚のアルバムを発表。2012年、中村一義名義で再始動。

現在、ライブは、多方面で活躍するメンバーが集結したバンドの「海賊」のメンバーとともに活動。アコースティック編成による弾き語り、ライブハウスでのロックンロールなバンドスタイルのほか、浅草東洋館を中心に定期的に行われるトーク&ライブ、ホール会場での特別編成バンドによる公演など、中村一義ならではのステージを精力的に展開している。

存在の独自性を打ち出し続けるレコーディング作品は、これまでにソロ名義・バンド名義合わせて9枚のオリジナルアルバムを発表。2020年2月5日、10枚目となるアルバム『十』をリリース。3月1日から、アコースティックセットのライブツアー「中村一義 “十” acoustic Live tour 2020」、さらに5月10日からバンドツアー「中村一義 “十” Live tour 2020」を開催する。

Information

<通常盤>中村一義 アルバム『十』ジャケット写真

New Release
『十』

01.叶しみの道
02.それでいいのだ
03.十
04.神▱YOU
05.すべてのバカき野郎ども
06.レイン⚡ボウ
07.イロトーリドーリ
08.スターズー
09.イース誕
10.愛にしたわ。
Bonus Track:叶しみの道
(Acoustic Live at Myonichikan on June 27, 2019 with 小谷美紗子&三井律郎)
※収録曲は(通常盤)(初回限定盤)共通。

2020年2月5日(水) 発売
(通常盤)VICL-65307 ¥3000(税別)
※CDのみ。

(初回限定盤)VIZL-1698 ¥4,000(税別)
※CD+DVD。

《DVD収録曲》(初回限定盤のみ)
「Acoustic Sessions〜Live at Victor Studio on October 10, 2019〜」
01.メキシコ 02.セブンスター 03.君ノ声 04.愛にしたわ。 05.叶しみの道
《Music Video》01.愛にしたわ。

中村一義 オフィシャルサイト
http://kikagaku.com/

10thアルバム「十」Special Site
https://www.jvcmusic.co.jp/nakamura_kazuyoshi/10/