志村 昌美

自宅軟禁、盗聴、命の危機…韓国次期大統領を狙う政治家の波乱すぎる人生

2021.9.16
混乱する時代のなかで、失いたくないもののひとつは誰の心のなかにもある“信念”。とはいえ、それを維持し続ける難しさを感じている人もいるのではないでしょうか? そこでオススメしたい映画は、そんな思いに応えてくれる話題のヒューマンサスペンスです。

『偽りの隣人 ある諜報員の告白』

【映画、ときどき私】 vol. 413

1985年、次期大統領選に出馬するために帰国した野党政治家イ・ウィシクは空港に到着するなり国家安全政策部により逮捕。家族とともに自宅軟禁を余儀なくされる。ウィシクを監視するため、諜報機関は左遷されていても愛国心だけは人一倍強いユ・デグォンを監視チームのリーダーに抜擢することに。

デグォンはウィシクの隣に住み込み、24時間体制の監視任務を遂行。機密情報を入手するために盗聴器を仕掛けていたが、家族を愛し、国民の平和と平等を真に願うウィシクの声を聞き続けるうちに、上層部に疑問を持ち始める。その矢先、ウィシクと家族に命の危険が迫ろうとしていた……。

軍事政権が国民の民主化運動を弾圧していた1985年を背景に描き、本国・韓国でも大きな注目を集めた本作。そこで、見事な手腕で作品を完成させたこちらの方にお話をうかがってきました。

イ・ファンギョン監督

韓国歴代興収10位を記録した『7番房の奇跡』などで知られるファンギョン監督。今回は、制作を通して振り返った少年時代の忘れられない記憶や日本への思いなどについて、語っていただきました。

―韓国現代史を描いた作品はこれまでも数多くありますが、本作を作るうえで他の作品とはどういう部分で一線を画した作品にしようと考えていらっしゃいましたか?

監督 確かに、いままでも本作と近い時代背景と政治的な題材を取り上げた作品はたくさん作られており、どの監督も見事に映画にしていると感じていました。ただ、今回私が作るうえでは、それらと同じような撮り方をするのではなく、重視していたのは、自分なりのスタイルで新しい物語を描くこと。これまでにない変化をつけることはできないだろうか、と考えました。

そこで、重い話ではあってもそれを感じることなく、ライトで身近な印象を持ってもらうような作品にしたいなと。この映画では、そういうアレンジを意識して作り上げています。

―実際、シリアスなシーンとコミカルなシーンとのバランスが絶妙で素晴らしかったです。

監督 その点は、私がいつも悩んでいることのひとつでもありますね。今回も念頭に置いていたのは、観客のみなさんにどのくらい楽しんでいただけるか、どのくらい涙を流してもらえるのか、そしてどのくらい共感してもらえるのか、ということ。人と人との間に生まれる美しい関係を感じてほしいと思って努力を重ねました。

結果的に私たちがここで笑ってほしいとか、ここで共感してほしいと思うところで、観客のみなさんが反応してくださったので、それはとてもうれしかったです。

時代考証は、自分の記憶を頼りに行っていった

―今回、舞台を1985年に決めた理由についても、お聞かせください。

監督 映画のなかでは直接的に実際の事件に触れてはいませんが、似たような出来事が1985年に起きていたからというのはもちろんありました。あとは、80年代から90年代にかけての物語にしたいと思っていたので、それならちょうど真ん中の年を描くのがいいのかなと。なので、実は1985年に特別な思い入れがあったというわけではないんですよ。

―なるほど。ただ、監督は当時15歳と多感な時期だったと思います。ご自身の経験や思い出が反映されたシーンもあったのでは? 

監督 当時の美術や衣装、音楽といったところは私の記憶を頼りに時代考証をしていきました。なかでも私にとって忘れられない女優さんといえば、『ラ・ブーム』で主演を務めていたフランス人女優のソフィー・マルソーさん。中学生だった私は、ソフィーさんのことが大好きだったんです。

そういったこともあって、今回ウィスクの娘役を演じてもらったイ・ユビさんのヘアスタイルをはじめすべては当時のソフィーさんと同じにしてもらいました。つまり、私が好きなソフィーさんを再現してもらったということです(笑)。ちなみに、韓国では多くの観客に気に入ってもらうことができました。

―とても魅力的でかわいかったです。また、劇中に何度も流れる「クルクル」という曲も印象的でしたが、この曲も監督がお好きだったものですか?

監督 そうですね。その当時、私が好きでよく聞いていた曲です。それに「クルクル」は、グルグルと回ることを表現している部分が問題視されて、実際に禁止曲になった曲でもあったので使いたいなと。

そのほかの理由としては、映画のなかで起きている抑圧的な状況と、この曲の歌詞や軽快なリズムが相反するものになっていたので、それらを合わせることで皮肉っぽさがより表現できておもしろいと思って入れました。

理解できない出来事が多いことに驚かされた

―非常に効果的に使われていると感じました。本作はあくまでもフィクションであると監督はおっしゃっていますが、参考にされた事件はあると思うので、それについても教えていただけますか?

監督 ご存じの方も多いかもしれませんが、1985年には韓国の大統領を務めたこともあるキム・デジュンさんが軟禁状態に置かれるという歴史的事実がありました。紆余曲折を経て、自宅軟禁されてしまうわけですが、いま考えてもなかなか理解できることではありませんよね。なぜ、自宅を拘置所のようにしなければならなかったのか。さまざまな疑問がつきまとう出来事だったと思います。

当時、私はまだ子どもだったので、そのときの政治的な状況などについては、まったくわかっていませんでした。今回の作品を制作するうえで、さまざまな出来事を知ることになりましたが、理解しきれないほどいろいろなことが起きていたのは驚きでしたね。

―確かに、本作を観て知ることが多くあり、非常に衝撃的でした。こういったことを描くうえで、意識していたことはありましたか?

監督 キム・デジュンさんは一挙手一投足を監視され、盗聴もされていた事実があったので、この作品では、そういった真実はモチーフにしたいなと。ただ、そこで頭にあったのは、実際の出来事をなぞるのではなく、私なりにヒューマンドラマとコメディの要素を込めた作品にしたいという思いです。この映画はドキュメンタリーではなく、あくまでも劇映画なので、ストレートに描くのではなく、風刺などを交えつつ、少し迂回するような形で描こうと考えました。

―そんな監督の意図を理解し、見事に体現していたのはキャストのみなさんだったと思います。現場で印象に残っているシーンはありましたか?

監督 劇中で俳優同士のアンサンブルがうまくいったなと思っているシーンのひとつは、私たちが「かくれんぼシーン」と呼んでいたある場面。1人が隠れると、ほかの2人出てくるというのを繰り返しているところですが、何日もかけて撮影したシーンで非常にうまくいったと思っています。

あとは、後半でチョン・ウさんとオ・ダルスさんの2人がお互いの顔を思い出しながら考えごとをするシーン。そこでは、観客のみなさんに深みを感じてもらえるように心がけました。個人的にも非常に記憶に残っているところなので、ぜひ観ていただきたいです。

日本には、感性を刺激してくれる作品がたくさんある

―どちらのシーンも注目していただきたいですね。では、日本についてもおうかがいしたいのですが、日本の作品や文化などで影響を受けているものがあれば、教えてください。

監督 まずは、村上春樹さんの小説。私だけでなく、韓国ではとても人気が高いですよね。あと好きなのは、日本のアニメーション。なかでも私の心のなかにつねに残っているのは宮崎駿監督の作品で、自分の子どもと一緒に『ハウルの動く城』などをよく観ています。ほかにも高畑勲監督の『火垂るの墓』は、本当に名作だと思っています。

それから、高校から大学時代にかけて私の感性を刺激してくれた作品といえば、岩井俊二監督の『Love Letter』。最近だと、私が目指しているものと近いと感じる方は、是枝裕和監督も挙げられます。私はこれまで日本の映画を観ながら映画監督になりたいという夢を育んできましたが、そんなふうに日本の映画や文化はつねに多くのことを考えさせ、たくさんのことを学ばせてくれる存在です。

―ありがとうございます。それでは日本の観客に向けて、メッセージをお願いします。

監督 日本でこの作品が公開されるという知らせを聞いたときは、本当に胸がいっぱいになりました。できることなら、パソコンの画面を突き破って、いますぐ日本にいきたいほど。パンデミックさえなければ、観客のみなさんにも直接挨拶したいと願っていました。なので、いまはそれが叶わなくて、とても残念な気持ちです。ただ、私の作品が公開されることだけでも舞い上がるような気分ですし、ぜひみなさんに愛していただける作品になったらうれしいと思っています。

あらゆる感情が溢れ出すヒューマンドラマ!

運命は政治に翻弄されることはあっても、いつの時代も変わらないものといえば、人と人との絆。決して出会うはずのなかった2人が繰り広げるやりとりには、ときに笑い、ときに涙してしまうはず。人間関係が希薄になりがちないまこそ観たい心が震える1本です。


取材、文・志村昌美

胸が騒ぐ予告編はこちら!

作品情報

『偽りの隣人 ある諜報員の告白』
9月17日(金)より、シネマート新宿ほか全国ロードショー
配給:アルバトロス・フィルム
https://itsuwari-rinjin.com/

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