志村 昌美

世界的な父の影で抱えた苦悩…波乱の人生を送った女性活動家の真実と矛盾

2021.9.3
働く女性たちのなかには、キャリアと恋愛の間で悩んだ経験がある人も多いのでは? そこで今回ご紹介するのは、世界的に著名な父を持ち、公私ともに激動の人生を送ったある女性の知られざる真実を描いた注目作です。

『ミス・マルクス』

【映画、ときどき私】 vol. 411

1883年、イギリス。19世紀を代表する哲学者で、経済学者のカール・マルクスが亡くなり、その末娘であるエリノア・マルクスは、父親の葬式で思い出を語っていた。そんななか、エリノアが出会ったのは劇作家のエドワード・エイヴリング。

2人は恋に落ちるが、不誠実なエドワードの裏切りに献身的な愛を捧げていたエリノアは深く傷つき、苦しめられていた。社会主義とフェミニズムを結びつけた草分けとして時代を先駆ける存在でありながら、エドワードへの愛と政治的信念との狭間でエレノアの心は引き裂かれていくことに……。

2020年のヴェネツィア国際映画祭でベストサウンドトラックSTARS賞を含む2冠に輝き、脚光を浴びた本作。今回は、こちらの方に見どころを教えていただきました。

スザンナ・ニッキャレッリ 監督

2009年に長編監督デビューを果たして以来、本国イタリアでさまざまな賞を受賞しているニッキャレッリ監督。本作でも見事な手腕を発揮し、高く評価されています。そこで、映画を通して現代の女性たちに伝えたいことや日本に対する思いなどについて、語っていただきました。

―エリノアの存在は、マルクス家の資料を読んでいる際に偶然知ったそうですが、最初はどのような印象を受けましたか?

監督 エリノアは19世紀当時の一般的な女性たちとは違い、非常に現代的な女性だと感じました。なぜなら、彼女はパートナーと結婚することなく、子どもを持たない選択をし、キャリアを追求。さらに男性から養ってもらうのではなく、むしろ自分が経済的に男性を支える側になっていたのです。いろんな意味で、本当に独立した女性だったと思います。

―とはいえ、これだけ波乱で複雑な人生を送った方なので、どういう形で映画にするかは苦労されたのではないでしょうか。

監督 確かに、私にとっては大きなチャレンジだったと思います。彼女の人生のなかでも、いまの私たちに強く訴えかけるものがあると感じたのは、パートナーであったエドワードとの関係性。そういった部分を中心にしながら、この映画では「エリノアは私たちと近い女性である」ということを伝えたいと考えました。

だからこそ、そのなかで重要だったのは、エリノアを十分に理解し、私のことをそばで助けてくれるようなキャストを選ぶこと。どんな女優にこの役を演じてもらえるかが、大きなポイントだったと思います。

愛とは複雑でコントロールできないもの

―実際、エリノアを演じたロモーラ・ガライさんは素晴らしかったです。

監督 私はこれまで彼女が演じてきた作品を観て、彼女ならこういう役でも十分に牽引できると信じていました。エリノアは非常に知的で、自分をコントロールできている女性のように表面的には見えていましたが、実は非常に暗い側面があり、重いエネルギーを持っている女性。

それらを表現するためには、彼女が笑ったり泣いたりする瞬間ひとつひとつをきちんと演じられる女優である必要がありました。なぜなら、細かい動きすべてが“運命的なラスト”へ全部つながっていかなければならなかったからです。

―エリノアは公ではフェミニストとして活動していたにもかかわらず、私生活では男性に苦しめられる生活を送っていたため、彼女は矛盾を抱えて生きていた人物と言えます。彼女がそういった状況に陥ってしまった原因について、どう解釈されましたか?

監督 エドワードはクレイジーで自由で、父親とは違う種類の“軽さ”を持って生きていたので、彼女はそういうところに惹きつけられたのだと思います。さらに、彼は大人の男なら持っているであろう恐れや後悔がない人物。そういう強いエネルギーを彼女は深く愛していたんだと思いますが、同時にそれが彼女を傷つけてもいたのです。

そして、彼女のなかで矛盾を生み出したもうひとつの理由は、彼女の母性。劇中にも「あなたって子どもみたいだから、私が面倒みないといけないのよ」といったセリフがあるように、外でどんなに悪いことをしても、帰ってきたら受け入れてしまう。彼女はフェミニストではありましたが、彼を前にすると理屈では説明できないような行動を取ってしまっていたので、「愛とは本当に複雑でコントロールできないものなんだ」と改めて気づかされました。

―そんな2人の関係性を描くうえで、気をつけたことはありましたか?

監督 エリノアはいつでも彼を捨てることができたのに、最後まで別れることができませんでした。でも、彼女は決して被害者ではなかったので、そういった部分はしっかりと描きたいなと。こういう女性になりたいと思ってなったわけではないけれど、彼女自身がああいう男性を選んで自分の人生を歩んでいったのだという彼女の姿は見せたかったところです。

いまの私たちなら乗り越えられる

―同じような矛盾を抱えている女性は、現代でも意外と多いのではないかなとも感じました。

監督 だからこそ、彼女の物語はいまの若い女性たちにとっても、大きな意味を与えてくれる物語になるだろうという確信があったんです。ただ、あの当時と違うとすれば、「いまの私たちなら乗り越えられる」ということ。つまり、決められた社会の構造から自分の力で抜け出すことが、あのときは無理でも、いまならできるという意味です。

彼女はああいう時代に生きていたため、自ら舞台を降りることになってしまいましたが、いまならひとりでそういう選択をすることなく、みんなと手を取り合って進むことができるのではないでしょうか。何かを変えたり、戦ったりするとき、誰かが与えてくれるのを待つのではなく、自分たちで勝ち取っていかなければならないものですが、いまの私たちにそれができるはずです。それこそがこの映画のなかでも、もっとも大事なメッセージのひとつ。特に、最後の20分で彼女が踊りながら思いを表現する姿に答えがあるので、注目してほしいです。

―ぜひ、観ていただきたいシーンですね。そして、ラストではエリノアが子ども時代に家族と「好きな美徳は?」「幸せとは?」「不幸とは?」「好きな格言とモットーは?」と質問しながら言葉遊びをしている様子が印象的でした。もし監督なら、どのように答えますか?

監督 これは本当のことなんですが、私はエレノアの父であるカール・マルクスとすべて同じ答えになりました。特に好きなのは、「幸せとは?」への答え。彼は「闘うこと」と返しますが、私自身も勝つことよりも闘うことが大事だと思っています。そして、彼はすべてにおいて人間としてどうするかということも訴えていますが、そういった彼の考えにも私は賛成です。ラストで繰り広げられる彼らの会話すべてにも、伝えたいメッセージを込めています。

日本から強い影響を受けて育った

―それぞれの人物がどんな答えを出すのかも、観客の方々には楽しみにしていただきたいところですね。では、まもなく公開を迎える日本についておうかがいしますが、監督は日本に対してどのような印象をお持ちですか?

監督 黒澤明監督の大ファンということもあり、私にとっては非常に大きな意味を持つ国のひとつです。黒澤監督の作品のなかで好きなのは、原爆のことを描いている『八月の狂詩曲』。私の前作『Nico,1988』でも戦争に触れていますが、私の心のなかには、第二次世界大戦の記憶や歴史がつねにあるように感じています。そういったこともあり、日本の歴史には以前からとても興味を持っているのです。

そのほかにも、私は日本のアニメとともに育ち、そこでいろいろなことを学んできたので、言葉やビジュアルにおいて、日本から強い影響を受けていると言っても過言ではありません。『アルプスの少女ハイジ』や『キャンディ キャンディ』にはじまり、ロボットの漫画など、本当にたくさん観ましたが、なかでも宮崎駿監督は私にとって大きな存在です。いまでは、娘と一緒に日本のアニメを観て楽しんでいます。

―ありがとうございます。それでは、観客へメッセージをお願いします。

監督 エリノアが最後にした選択の本当の答えは、誰にもわからないかもしれません。でも、彼女は決してあきらめることなく闘った人。たとえ結果的にそう見えなかったとしても、私にとっては、最後まで社会を変えるという希望を持ち続けていた人なのだということは伝えたいと思います。

何があっても、前に進み続ける!

激動の運命に見舞われながらも、最後まで自らの意思と変わらぬ愛を貫き通したエリノア。パンクロックの音楽に乗せて届く魂の叫びは、現代に生きる私たちにとっても、さまざまな問いと向き合うきっかけを与えてくれるはずです。


取材、文・志村昌美

心に訴えかける予告編はこちら!

作品情報

『ミス・マルクス』
9月4日(土)よりシアター・イメージフォーラム、新宿シネマカリテほか全国順次公開
配給:ミモザフィルムズ
https://missmarx-movie.com/

Photo by Emanuela Scarpa
Photo by Dominique Houcmant
Photo by Eniko Lorinczi