志村 昌美

永瀬正敏「いまだにデビュー作を最後まで観れない」役者を40年間続けられた理由

2023.3.30
春といえば、仲間との出会いと別れに心が動かされる季節。そんなときにオススメの映画は、人生の折り返し地点を迎えた男たちが青春時代に組んでいたパンクバンドを再結成するため、30年振りに集結する様子を描いた注目作『GOLDFISH』です。今回は、主演を務めたこちらの方にお話をうかがってきました。

永瀬正敏さん

【映画、ときどき私】 vol. 565

劇中で、過去に社会現象を起こした元人気パンクバンドのメンバーであるイチを演じている永瀬さん。本作では、映画監督デビューを果たしたバンド「亜無亜危異(アナーキー)」の藤沼伸一さんと初タッグを組んでいます。そこで、現場での様子や自身がバンドを組んでいたころの思い出、そして分岐点となった恩人との出会いなどについて語っていただきました。

―最初にお話があったときの印象や出演の決め手となったものから教えてください。

永瀬さん 亜無亜危異さんがデビューされたのは、ちょうど僕が中学生くらいのとき。いままで聴いたことのないような音楽とカリスマ性を持ったバンドということで、当時から話題沸騰でした。ただ、僕はどちらかというと海外のパンクバンドをよく聴いていたので、存在や漠然としたエピソード、数曲の楽曲は知っていましたが、そこまで詳細には知らなかったんです。

なので、今回の脚本を読んだときに、これを映画にする監督はすごい覚悟が必要だったろうなと。100%リアルな物語ではないものの、いろんな事実も含まれているので、そこにちゃんと向き合われたんだなとその決心を感じてぜひ出演したいと思いました。

―ちなみに、永瀬さんご自身もパンクバンドをされていた経験があったとか。

永瀬さん いやぁ…(笑)。中学1年生の終わりぐらいからですが、同じ中学の先輩のなかにかっこいいバンドがいたので、その人たちに感化されて5人で組んでいました。しかも、当時の九州はバンド熱が高かった時代でもありましたから。

あと、ベースとギターで楽器は違いますが、ストラップの付け方をシド・ヴィシャスみたいな感じで弾きたいと思って真似していたことも。でも、そうするとリズムがどんどんみんなとズレてしまうので、最終的にはギターをクビになりました(笑)。ライブシーンでは、一気に中学時代に戻ったような感じがして懐かしかったです。

思いがあれば、何かをスタートするのに期限はない

―監督の藤沼さんは今回が映画監督をするのは初ということで、映画作りに関する入門書を買いまくっていたそうですね。さまざまな監督とお仕事をされてきた永瀬さんから見て、監督ぶりはいかがでしたか?

永瀬さん 撮りたい画が見えていて、すごく落ち着きもあったので、申し分なかったと思います。特に、ご自身が経験されたことを反映されているからというのもありますが、事前にしっかりとシミュレーションができていたように感じました。俳優陣やスタッフへの指示出しや回し方も素晴らしかったので、不安要素というのは一切なかったです。

あとは、やっぱりライブシーンに関してはお手のものだなと思って見ていました。ライブシーンは曲の途中で止めて撮影することもあるので普通だと大変なんですが、それがとてもスムーズでしたし、毎回同じ盛り上がりを演出されていたのもすごかったです。

―60歳を過ぎてからの初挑戦で苦労もあったと思いますが、その姿に刺激を受けたところはありませんでしたか?

永瀬さん おそらくこれは映画に限らず何にでも言えることですが、ちゃんと思いがあれば、みんな付いていくものなんだなと。何かをスタートするのに期限はない、みんなの協力があればいくつになっても始められるんだなと感じさせていただきました。

―永瀬さんが演じられたイチは、藤沼さん自身を投影した役どころですが、ご本人の前で演じられてみていかがでしたか?

永瀬さん 自分のなかで迷いがあったときでも、監督から醸し出されるものをつねに浴びられるので、安心感があって助かりました。ただ、この作品は完全な実話ではないので、本人になりきって演じる必要がない役どころ。そういったこともあって、僕としては監督の“匂い”や仲間といるときの雰囲気、立ち姿といったところで通じるものを出せればいいかなと。撮影中は監督について回ったり、監督の細かい部分を観察したりしていました。

映画に対する思いは、デビュー当時から変わらない

―そんな永瀬さんの演技に監督は見とれてしまい、カットを掛け忘れそうになったこともあったそうですが、特にアドバイスなどはなかったのでしょうか。

永瀬さん 芝居についてはほとんどなかったですが、当時の背景やメンバーとの関係性みたいなことは雑談程度でお話いただきました。あと、大きかったのはギターを教えていただいたことですね。全然触っていなかったので、監督にはご迷惑をおかけしたと思います。そもそも僕は、ギターが下手でクビになったくらいのレベルですからね(笑)。「またバンドを組もう」とまではいかないですけど、やっぱり音楽はいいなと感じました。

―そういう楽しさは、作品からも伝わってきました。

永瀬さん 現場では本番ギリギリまでいつもみんな笑っていましたし、「昔から仲間だったんじゃない?」と思うくらいあっという間にひとつになりました。僕としてはキーくん(渋川清彦)の芝居がおもしろくて、笑いをこらえるのが必死でしたけど、とにかく毎日が楽しかったです。

―そのいっぽうで、劇中では「ミッドライフクライシス」についても描かれていますが、ご自身もそういう経験をされたことはありますか?

永瀬さん あるような気もするけど、ないような気もするので、もしかしたら成長していないのかな、鈍いとか(笑)。もちろん、いろんなところにガタが来ているとか、無理がきかないとかはありますが、いまだにデビュー当時の感覚をずっと引きずっている部分があるんでしょうね。昔のインタビューを見返してみても、言っていることはあまり変わっていないですから…。でも、それだけ映画に対する思いが変化していないということだと思います。

満足してしまったら、そこで止まってしまう

―デビュー作といえば、相米慎二監督の『ションベン・ライダー』ですが、そこで得たもので、いまでも変わらない部分というのはどのあたりでしょうか。

永瀬さん 口に出したり、手を取って細かく演技指導してくださったりするタイプの監督ではなかったですが、そこで最初にもらったものは、あとで振り返ってみても、忘れちゃいけないものだなと感じています。それは「演じている本人がその人物のことを一番知っていなきゃいけない」ということですが、いろんな仕事を重ねていっても同じだと思う部分です。15歳で現場に入って、そこで救ってもらった感覚がすごく強かったので、いまも現場に対する愛情は変わりません。

―そういう思いを貫き続け、今年の2月でデビューから40年周年を迎えられました。改めて、これまでを振り返ってみて実感はありますか?

永瀬さん まあ、生きていれば誰にでもいずれそういうときは来るんでしょうけど、自分の理想とはちょっと違いましたね(笑)。もっと大人になっているはずで、もっと自分の芝居にも自信がついているはずだったので…。気持ち的には、毎回ゼロというか、マイナスくらいからのスタートで1つ1つ積み重ねて作っていく感じは、デビュー当時と同じです。

自分の芝居を見ても、「よくやった!」と1回も思ったことはありません。もちろん、自分としてはいつも120%でやっているんですけど、客観的に見れないところはいまだにずっと続いています。

―永瀬さんほどのキャリアと経験があっても、いまだに自信がないというのは驚きです。

永瀬さん いやいや、全然ですよ。「違う方が演じたらもっとスムーズにいい芝居ができるんだろうな」とか考えることもあるくらいなので。でも、だから続けていられるのかもしれないですね。満足してしまったら、そこで止まってしまいますから。

ジム・ジャームッシュ監督が違う景色を見せてくれた

―つまり、そういう気持ちこそが原動力になっていると。

永瀬さん まさにそうですね。かと言って、終わった作品がダメだということではないですよ。あくまでも、自分に対しての点数が厳しいだけですから。共演者の方々の演技は素晴らしくて感動しますが、自分にはそう思えないんですよね。

なので、実はいまだにデビュー作がどうしても最後まで観れないんです。もちろん、特別な感情がたくさん入っているからというのもありますが、それくらい客観的に観ることができません。とはいえ、もうちょっと大人になってもよさそうなもんだなと自分でも思うんですけど…。そろそろもう少しラクしたいです(笑)。

―それほどまでとは意外ですね。これまで本当にいろんな経験をされてきたと思いますが、そのなかでもご自身にとって分岐点だったなと思い浮かぶ出来事といえば?

永瀬さん いっぱいありますが、デビューしたあと5、6年くらい映画に出られなかった時期に、映画の現場に引き戻してくれたのがジム・ジャームッシュ監督。僕にとっては恩人の1人ですし、いまでもその関係が続いているのがうれしいです。

ジャームッシュ監督とプロデューサーが事務所にかけあってくれて、「自分たちが面倒を見るからアメリカに来させたい」と言って呼んでくれました。当時はとにかくお金もなくて大変でしたが、プロデューサーさんの家に4か月ほどルームシェアさせてもらったり、惜しみなく知り合いを紹介してもらったりしたので、あのときの世界の広がり方はすごかったですね。そこで、違う景色を1回見させてもらったおかげで確実に自分のなかで何かが広がっていくのを感じたので、いまでもすごく感謝しています。

毎日笑顔で、楽しく生きてほしい

―それらを踏まえたうえで、今後新たに挑戦したいこと、もしくは60代を迎えるまでの数年でしたいことなどがあれば教えてください。

永瀬さん 繰り返しになりますが、もっと大人になりたいですね(笑)。あとは、誰が主役とか脇役だとか関係なく、役者同士でもっとスクラムを組み、みんなで1つの作品に向かって戦っていきたいという気持ちが強くなっています。

―ご自身が監督をされる可能性もあるのではないかなと期待してしまうのですが、いかがでしょうか。

永瀬さん いろいろとお話はいただきますが、監督は絶対にしないですね(笑)。それよりも、脚本を作ったりとか、座組を考えたりとか、映画の土台づくりをするのは楽しそうだなと思っています。みんながいろんなところからアクションを起こしていけば、これからもっとおもしろくなる気がしているところです。

―楽しみにしています。それでは最後に、ananweb読者にメッセージをお願いします。

永瀬さん 僕が何かをアドバイスできるような立場ではありませんが、ここ数年でいろんなことが起き、当たり前だったことが当たり前にできなくなった経験をして、普通に暮らしていくことがどれほど貴重なのかを僕も痛感しました。だからこそ、毎日笑顔で楽しく生きてほしいです。そして、たまにはぜひ映画館にも足を運んでください。

インタビューを終えてみて…。

この連載には何度かご登場いただいていますが、約1年振りとなる永瀬さん。お会いするたびに、映画に対する愛の深さと真摯な姿勢には感動を覚えます。そして相変わらずのかっこよさは言うまでもありませんが、本作ではギターを弾く姿にもしびれますので、ぜひご注目ください。

不条理な世の中に立ち向かえ!

さまざまな苦悩を抱えつつも、戦うことを諦めないパンクな男たちの生きざまを描いた本作。居場所を見失い、葛藤に押しつぶされそうになったときこそ、過去ではなくいまの自分自身と向き合えば、その先に待ち受ける新たな希望と出会えるのだと教えてくれる1本です。


写真・幸喜ひかり(永瀬正敏) 取材、文・志村昌美
スタイリスト・渡邉康裕 ヘアメイク・勇見勝彦(THYMON Inc.)
コート¥433,400、シャツ¥173,800、パンツ¥323,400 YOHJI YAMAMOTO(ヨウジヤマモトプレスルーム/03-5463-1500)、他スタイリスト私物

ストーリー

1979年、19歳の不良少年5人によって結成されたパンクバンド「ガンズ」。デビューするやいなや、社会現象を巻き起こす。しかし、人気絶頂のなか、メンバーのハルが傷害事件を起こして活動休止となってしまう。

それから30数年が経ち、妻子と別れてひとり暮らしをするギタリストのイチ。そんな彼のもとに、リーダーだったアニマルから連絡が入る。そして、アニマルの不純な動機をきっかけに、イチが中心となって再結成へと動き出す。ところが、いざリハーサルを始めると、ハンドとしての思考や成長にズレが生じ、メンバーたちの間にも音にも不協和音が出始めるのだった……。

ほとばしる熱を感じる予告編はこちら!

作品情報

『GOLDFISH』
3月31日(金) シネマート新宿、シネマート心斎橋ほか全国順次公開
配給:太秦 、パイプライン
https://goldfish-movie.jp/
(C)2023 GOLDFISH製作委員会