志村 昌美

画家ボナールと妻が過ごした波乱の半生…フランス映画界の名優と名匠が挑んだ破天荒な愛

2024.9.19
夏の暑さが落ち着き、心が穏やかになる秋は芸術を満喫するにはぴったりの時期。連載最後のオススメとしてご紹介する1本は、ある芸術家夫婦が歩んだ激動の半生を描き、絵画も映画も堪能できる『画家ボナール ピエールとマルト』です。そこで、こちらの方々にお話をうかがってきました。

ヴァンサン・マケーニュさん & マルタン・プロヴォ監督

【映画、ときどき私】 vol. 654

20世紀絵画の巨匠のひとりであり、印象派に続くナビ派の代表格とされる画家ピエール・ボナールを演じたのはフランス映画界には欠かせない俳優ヴァンサン・マケーニュさん(写真・左)。本作を手掛けたのは、セザール賞で最多7部門に輝いた『セラフィーヌの庭』やカトリーヌ・ドヌーヴとカトリーヌ・フロの初共演で話題となった『ルージュの手紙』のマルタン・プロヴォ監督(右)です。

今回は、本作完成までの裏側や撮影秘話、そして日本の観客に伝えたい思いなどについて、おふたりに語っていただきました。

―最初はボナールの妻であるマルトの親族から「マルトの映画を作ってほしい」と監督に連絡があったそうですが、すぐに映画にしたいと思われたのでしょうか。

監督 声をかけてくれたのはマルトの姪の娘さんでしたが、画家セラフィーヌ・ルイの生涯を描いた『セラフィーヌの庭』が世界的な大ヒットをしていたときだったので、僕なら自分の大叔母にオマージュを捧げてくれる映画を作ってくれると感じたのだと思います。

ただ、僕としては女性の画家を続けて描こうという気持ちはなかったので、正直に言うと連絡をもらったときは、まったく興味がありませんでした。

まるでボナールの絵を見ているかのような気分になった

―では、そこからどのようにして映画化へと進んでいったのですか?

監督 とりあえず本を読んでみたところ、ボナールとマルトが長年暮らしていた場所と僕の家は数キロしか離れていないことに気がついたのです。実際に行ってみると、当時はコロナ禍だったこともあり、本当に静かで、目の前に広がっていたのは昔のままの自然の景色。まるでボナールの絵を見ているかのような気分になったのを覚えています。

そのときになってようやく「これは何かできるかもしれない」と感じるようになりました。ただ、マルトだけでなく、ボナールと合わせてカップルの話にしたいというのは最初から考えていたことです。

―ヴァンサンさんは、ボナール役のオファーが来たときはどのようなお気持ちでしたか? 劇中では絵を描くシーンも多かったですが、もともと得意だったのでしょうか。

ヴァンサンさん 実は、僕の母は画家なんですが、僕自身はそんなに絵がうまいほうではないんですよ(笑)。今回、出演を決めたのは、マルタン・プロヴォ監督がボナールや絵画をテーマに作品を撮ることに興味を持っていたからです。

というのも、僕は普段から作品のテーマよりも、「誰がその作品を撮るのか」ということを重視するタイプの俳優なので。脚本を読んだときには、マルトの視点を通した映画でありつつ、ふたりの話を描いているのが魅力的だなと感じました。

夫婦の姿がとても繊細で感動的に描かれていると感じた

―実際、プロヴォ監督の演出はいかがでしたか?

ヴァンサンさん マルトは嘘をつくこともあるようなミステリアスな女性ですが、ボナール作品の多くに出ているほど存在感のある人なので、そういった“創作の衝動”みたいなものがうまく映画に取り込まれていると感じました。

いろんなドラマを乗り越えて愛し合い、年老いていく夫婦の姿がとても繊細で感動的に描かれていると思います。プロヴォ監督の撮影方法もとても気に入りました。

―監督から見たヴァンサンさんの魅力についても、お聞かせください。

監督 彼は詩的な素質を生まれつき持ち、子どものようなイノセントな部分も持ち続けている人。そのいっぽうで、脆弱さも内に秘めているので、そういうところもいいなと感じています。

普段の僕はとても穏やかなんですが、現場では結構テキパキと指示を出すタイプの監督です。でも、このやり方だとヴァンサンの演技方法には合わないと理解したので、今回は彼の世界観に僕が合わせていく形で進めていきました。そのかいあって老年期のボナールを演じた際には、期待以上のものを彼が生み出してくれています。それは作品にとっても、僕にとってもプレゼントのような出来事でした。

プロヴォ監督がボナールを具現化してくれた

―確かに、時間の経過とともに異なる姿を見せていて素晴らしかったですが、これまでの作品でも毎回雰囲気が違うのでヴァンサンさんにはいつも驚かされています。ご自身でも、見せ方などに関して意識されていることはあるのでしょうか。

ヴァンサンさん 僕は基本的に、監督ありきで作品に出ているので、それぞれの監督が僕をどういうふうに見ているかに自分を合わせていることが多いですね。僕自身としては冒険しているかのような気分ですが、そんなふうに役を演じています。

ただ、ボナールに関しては自分自身を埋没させなければいけない難しさはあったのかなと。そういうなかでプロヴォ監督が具現化してくれたと感じています。

―劇中では、泳いだり、走り回ったり、裸になったりするシーンが多かったので、体力的な大変さもあったのではないかなと思いますが。

ヴァンサンさん そのおかげで瘦せたんですが、またちょっと太ってしまいました…。

監督 じゃあ、僕がヴァンサンの肉体改造をしたってことだね(笑)。

ヴァンサンさん あはは! あと、僕はパリジャンではあるけれど、セーヌ川で泳いだことは一度もなかったので、それは初めての経験でした。とはいえ、虫や魚がいっぱいいるなかで泳ぐのはちょっと怖かったですが、とても楽しかったです。お昼休みには、スタッフもみんな泳いでいたくらいですから。

監督 天気もすごく良かったし、ハプニングも起きなかったし、撮影が順調に進んだのは本当にラッキーだったなと思います。

実現できなかった日本での撮影をいつかしたい

―絵画のようなシーンばかりでとても素敵でした。

監督 あの場所は、モネをはじめとする印象派の画家たちがたくさん住んでいたような風光明媚なところですからね。

―それでは、おふたりから見た日本の印象についてもお聞かせください。

ヴァンサンさん フランス映画祭で日本に来ることが多いので、横浜と東京しかよく知らないんですよ(笑)。でも、1度だけ京都に行ったときは、とても美しい街だと思いました。僕が思う日本というのは、やはり映画を通して見るイメージが強いかもしれないですね。

監督 僕は10年ほど前に、京都や直島、屋久島を回ったことがありますが、どこもすごく興味深かったです。あと、実はカトリーヌ・ドヌーヴと一緒に書いていた脚本があって、日本でも撮影するはずだったんですよ。

ただ、残念ながらいろんな問題があってプロジェクトは流れてしまいました。脚本にも“賞味期限”があり、時間が経ち過ぎると色褪せてしまうので実現できませんでしたが、いつか日本でも撮影したいですね。

一緒に活動している仲間がインスピレーションをくれる

―ぜひ、楽しみにしております。おふたりとも積極的に創作活動を続けられていますが、ボナールにとってのマルトのように、インスピレーションを与えてくれる存在はいますか?

監督 もちろんいますよ! だから、僕がこの映画を撮ったのは、偶然ではないのかもしれません。僕には26年間一緒に暮らしている人がいますが、彼のおかげで僕の創作意欲は豊かなものになっていると感じています。

なので、この作品は彼に捧げているというか、僕たちの関係に対する敬意の表れとも言えるのではないかなと。同じ方向を見ながら、ふたりで前へ向かって進んでいるんだということをこの作品を通じてより実感しました。

ヴァンサンさん 僕は舞台の演出家としても活動をしているので、最初の頃からずっと一緒にやってきた俳優たちからはいつも刺激をもらっています。誰かひとりというわけではないけれど、彼らみんなが僕にとっては大事な存在です。

自分自身の未来と運命を信じて、期待し続けてほしい

―それでは最後に、ananweb読者に向けてメッセージをお願いします。

監督 20代や30代くらいの年代だと、「素敵な恋愛をして結婚したい!」と考えているかたが多いと思います。それだけにボナールとマルトのように長く一緒にいるカップルの姿から、現実はそれほど理想的ではないんだと感じる部分もあるかもしれませんが、がんばればきっとあなたも頂点に近づけるはずです。

ヴァンサンさん そのためには、まず自分自身の未来と運命を信じてくださいね。そして、あなたが口にした言葉が物事をそちらの方向に動かすこともあるかもしれないので、誰かに耳を傾けてもらえるという希望を失わず、期待し続けてほしいです。

監督 それはまさに自らが置かれていた社会的境遇から抜け出そうとしたマルトがしていたことでもありますが、自分の力で自分自身に違う人生を与える生き方は参考にしてみてください。

インタビューを終えてみて…。

撮影からインタビューまで、終始和気あいあいと会話を楽しんでいたヴァンサンさんとプロヴォ監督。おふたりの穏やかなオーラに包まれながら、優しい時間を過ごすことができた取材となりました。リスペクトし合うおふたりだからこそ生み出すことができた力作をぜひお見逃しなく。

Vol. 654まで続いた「映画、ときどき私」の連載は今回で最後となります。国内外の監督や俳優のみなさんに数多くインタビューさせていただき、思い出深い取材ばかりです。長きにわたりお付き合いいただき、ありがとうございました!

絵画のような美しい景色と激しい愛情に引き込まれる

常識を超えた型破りな関係でありながら、誰よりもお互いを求め合い、理解し合っていたボナールとマルト。その姿に愛の奥深さや幸せとは何かについて、誰もが考えさせられるはずです。


写真・園山友基(ヴァンサン・マケーニュ、マルタン・プロヴォ) 取材、文・志村昌美

ストーリー

1893年、画家とモデルとしてパリで出会ったピエールとマルト。ブルジョア出身のピエールは謎めいたマルトに強く惹かれていく。田舎に家を見つけると、ふたりは社交的な世界から離れて一緒に暮らし始める。

クロード・モネなど限られた友人とだけ交流し、隠遁生活のなかで絵画制作に励むピエール。マルトをモデルにした赤裸々な絵画で評判となり、展覧会で大成功をおさめる。第一次世界大戦終戦間近の頃、マルトはパリのアトリエでピエールのモデルになっている美術学校生ルネと出くわし、3人の関係は複雑なものになるのだった…。

釘付けになる予告編はこちら!

作品情報

『画家ボナール ピエールとマルト』
9月20日(金)より、シネスイッチ銀座・UPLINK吉祥寺ほか全国ロードショー
配給:オンリー・ハーツ
http://bpm.onlyhearts.co.jp/
(C)2023-Les Films du Kiosque-France 3 Cinéma-Umedia-Volapuk