志村 昌美

元ボート難民の映画監督が語る実体験「30年ぶりの祖国では奇妙な感覚に襲われた」

2022.1.13
人生における大きな目標のひとつと言えば、自分探し。とはいえ、その過程で思い通りに行かず、葛藤を抱えているという人も多いのでは? そこで今回ご紹介するのは、自分自身を見つめ直す旅に出た主人公を描いた注目のロードムービーです。

『MONSOON/モンスーン』

【映画、ときどき私】 vol. 445

両親の遺灰を埋葬するため、祖国ベトナムへと足を踏み入れたキット。6歳のとき、家族とともにベトナム戦争後の混乱を逃れてイギリスへ渡った“ボート難民”だったキットにとって、30年ぶりの帰郷となった。

両親の故郷であるハノイに向かい、大事な場所を探し始めるものの、思うようには進まない。そんななか、キットは従兄弟のリーから家族の亡命にまつわる“ある真実”を聞かされることに……。

『クレイジー・リッチ!』や『GIジョー: 漆黒のスネークアイズ』など、ハリウッドでも注目を集めているヘンリー・ゴールディングが主演を務めていることでも話題の本作。今回は、こちらの方にお話をうかがってきました。

ホン・カウ監督

世界各国の映画祭で高く評価され、BAFTAロサンゼルスの「注目すべき英国人の1人」に選出されたこともあるカウ監督。カンボジアで生まれたのち、ベトナムに渡り、ベトナム戦争後に“ボート難民”として家族とともに渡英したという過去を持っています。そこで、主人公と近い経験を持つ監督に、作品を通してたどり着いた心境や現場での忘れられないエピソードなどについて、語っていただきました。

―本作は自身の経験に基づいた物語ということですが、過去と向き合うつらさなどはなかったのでしょうか。

監督 完全な自叙伝というわけではありませんが、8歳でベトナムからイギリスに移住したことなど、この作品では僕自身のことを多く描きました。キットと同じように30代後半で、移住後初めてベトナムに戻りましたが、そのときには非常に奇妙な感覚に襲われ、感情的になったことも。ベトナムで生活していた頃の記憶が僕のなかで消えつつあったので、激しく変わっていく街の様子を見ながら、つらいというよりも、過去の記憶に必死にしがみついているようなところはありました。

―作品を完成させる過程で、心境に変化を与える部分もあったのではないかと思いますが。

監督 現地でのリサーチを終えて脚本を書いているときは、気分が高ぶるときもあれば、どん底まで落ち込むこともありましたが、そういった作業を通して僕自身は“デトックス”できたのかなと。自分自身の感情を洗い流すような感覚を味わうことができ、非常にいい経験になりました。

―30年ぶりにベトナムを訪れてみて、ご自身がずっと抱えてきたというアイデンティティの問題に対して、答えとなるようなものに出会えた瞬間もありましたか? 

監督 映画で描いているのと同じように、明確な答えというものを見つけることはできませんでした。ただ、ベトナムを訪れたことによって気がついたのは、自分のなかにある葛藤は自分の一部であるということ。「自分は何者なのかという問いには永遠に答えが出ないのだろう」という考えに到達して、それを受け入れることができました。この先、楽しい日だけではなくつらい日もあるかもしれませんが、この旅を通してそういった結論にたどり着けたのはよかったと思います。

ヘンリーは何かを持っていると直感した

―今回、キット役の俳優を探すのにかなり苦労されたそうですが、なぜキャスティングが難航したのでしょうか。

監督 確かに、ヘンリーと出会うまではとても長い間オーディションを行いました。なぜ時間がかかったかというと、キットという役はすべてのシーンに出てくるような役どころなので、観客のことをずっと引きつけられる役者が必要ですが、そういう人をなかなか見つけられなかったからです。

そんななか、送られてきたのがヘンリーのオーディションテープ。当時は、ハリウッドの映画を2本撮影したと聞いてはいましたが、まだ公開されていなかったので、僕としてはまだ経験の少ない役者だなと思っていたくらい。まさかこれほどの大スターになるとは考えてもいませんでしたね(笑)。

―では、最終的にヘンリーさんにお願いしたいと思った決め手は?

監督 彼の映像を見たとき、言葉では言い表せないけれど、彼は何かを持っていると直感してワクワクしたんです。そこで、彼に会うためにLAまで行き、いくつかのシーンの読み合わせをすることに。そのときに彼の感情がリアルで純粋であること、そして心の奥から来ている自然なものだと感じたんです。実際に会ったときに僕のなかで「彼がキットだ」という確信もあったので、キャスティングすることになりました。
 
―イギリス人の父とマレーシア人の母を持つヘンリーさんも、監督同様に自身の国籍に関する問題には葛藤があったようですね。

監督 確かに、ヘンリーにも僕と同じようなバックグラウンドがあったので、そういったことに関してはたくさん話し合いをしました。彼も自分自身の居場所や存在についていろいろな迷いがあったからこそ、キットのことをきちんと理解し、あのような演技をしてくれたのだと思います。

ベトナム人たちの勤勉さに、自分が恥ずかしくなることも

―監督から見たヘンリーの魅力について、教えてください。

監督 彼は本当に気さくな人なんですが、おもしろいと思ったのは、ベトナムという国にすごくなじんでいたこと。マレーシアに住んでいたことがあったからというのもありますが、ハノイでは線路わきの木になっていた果実をとっていきなり食べたこともありましたから……。

僕としては、安全かわからないものを食べてお腹を壊したら大変なので、「やめてくれ!」と心配していたのですが(笑)。一応、彼は食べられるものだと知っていたそうですが、それくらい自然体な人なんですよ。あとは、スタッフのみんなにいつもいろいろな食べ物を買ってきてくれたりして、本当にフレンドリーな人だなと思いました。

―また、映像からはベトナムのリアルな感じが伝わってきましたが、撮影中の出来事で印象に残っていることといえば? 

監督 キットがバイクで橋を渡るシーンでは、壊れそうなバイクが用意されていて不安になったことは記憶に残っていますね。そのほかに文化的な違いや技術的な問題からミスコミュニケーションが発生することも時折ありましたが、ベトナムの人々はとにかく勤勉。「暑いからエアコンがほしい」と騒いでいた僕たちは、どんなときももくもくと働いてくれる彼らの姿を見て、自分たちが恥ずかしくなることもありました。

日本のみなさんなら、この作品を理解してもらえるはず

―では、まもなく公開を迎える日本にはどのような印象をお持ちか教えてください。

監督 日本には前作が公開されたときに1度だけ訪れたことがあります。イギリスでも日本文化はすごく人気ですし、親友が大阪に住んでいるので、僕にとっては近い国だと感じています。

印象的だったのは、東京に足を踏み入れたときのこと。見た目は近代都市そのものですが、たまに自分が考えている常識とは違うところがあって、そのズレにおもしろさを感じました。たとえるなら、逆向きのハンドルがついている自転車に乗っているような感覚でしたね。あと、僕はよく日本のブランドの洋服を着ているので、洋服を通して日本の文化に触れているところです。

―日本の観客へメッセージがあれば、お願いします。

監督 今回、この作品が日本で公開されることはとてもうれしいですし、興奮もしています。ただ、日本のみなさんがどのように受け止めて理解してくださるのかについては、少し不安なところも。とはいえ、日本のみなさんならこの作品が持つ静けさをわかってくれるのではないかと思っています。

―それでは最後に、映画監督として今後どのような作品を手掛けていきたいのかを教えてください。

監督 いつも同じ質問を自分自身に投げかけているのですが、なかなか言葉にするのは難しいなと感じています。ただ、これからも自分が惹かれるようなストーリーを語っていけたらいいなと。あとは、自分らしい掘り下げ方で、いままでにないような映画を作りたいとも思っています。

そういったことをつねに模索し、努力を続けているところです。まだどんなストーリーを描きたいかということをはっきりとは言えませんが、本作同様にアイデンティティというのは自分のなかでも大切なテーマとしてこれからも向き合い続けていければと考えています。

悩める心に癒しと希望を与えてくれる

静かでありながら、観る者に強いメッセージを突きつけ、深い味わいのある本作。多くの人が「自分とは何者か?」という葛藤を抱えるなか、心に寄り添ってくれる1本となるはず。活気あふれるベトナムの景色を眺めながら、自分のなかに湧き上がる思いを噛みしめてみては?


取材、文・志村昌美

心が震える予告編はこちら!

作品情報

『MONSOON/モンスーン』
1月14日(⾦)より、ヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国公開
配給:イオンエンターテイメント
https://monsoon-movie.com/

©MONSOON FILM 2018 LIMITED, BRITISH BROADCASTING
CORPORATION, THE BRITISH FILM INSTITUTE 2019