志村 昌美

1本の動画で貧困地域から世界へ。気鋭ダンサーによる圧巻パフォーマンス

2021.8.19
まだまだ先が見えないなか、不安にさいなまれている人も多いかもしれませんが、そんなときこそ逆境をはねのけてタフに生きている人の姿は、何よりも背中を押してくれるものです。そこで、こんなときだから観たいオススメの最新作をご紹介します。

『リル・バック ストリートから世界へ』

【映画、ときどき私】 vol. 406

アメリカでも有数の犯罪多発地域として知られ、ギャングがはびこるメンフィス。そんな貧困と犯罪があふれる街で育った愛称リル・バックと呼ばれる少年は、メンフィス発祥のストリートダンス“メンフィス・ジューキン”にのめり込んでいた。

「ギャングになるより、ダンスがうまくなりたい」と願っていたリル・バックは、奨学金を得て、クラシックバレエにも挑戦するまでに。そして、ジューキンとバレエを融合させたダンスが世界的チェロ奏者ヨーヨー・マや映画監督スパイク・ジョーンズの目に留まり、リル・バックは世界的なダンサーへと歩み始めることになるのだった……。

WEBに上がった1本の動画によって運命が大きく変わった“驚異のダンサー” リル・バックの半生を追った感動のドキュメンタリー。今回は、本作の見どころについてこちらの方にお話をうかがってきました。

ルイ・ウォレカン監督

フランスで哲学と音楽学を学んだあと、クラシック音楽に関するドキュメンタリーを多数手がけてきたウォレカン監督(写真・右/後はリル・バック)。世界各国の映画祭で大きな反響を呼んだ本作が誕生したきっかけや撮影時のエピソード、そして日本への思いについて語っていただきました。

―リル・バックと初めて会ったとき、どのような印象を受けましたか?

監督 僕はLAで振付師のバンジャマン・ミルピエと仕事をしていたんですが、そのときに彼から「今度、新進気鋭のダンサーとミーティングをすることになっているんだけど、すごい奴なんだよ!」と話があったんです。当時、リル・バックはまだあまり知られていないダンサーでしたが、彼のことを話すバンジャマンの興奮からもすごさが伝わってくるほどでした。

その後、スタジオに行って、最初に目に飛び込んできたのは、バッハの曲に合わせて情感豊かに踊っているリル・バックの姿。僕は1秒で魅了されてしまいました。そして、これを映像に収めなければいけないという直感が働いたのを覚えています。

―画面を通してでも、彼の圧倒的な存在感は伝わってきました。実際に、撮影を始めてからはいかがでしたか?

監督 これは若い世代だからかもしれませんが、彼はカメラに撮られることに慣れているので、まるでカメラと対話するかのように自然体で踊ってくれました。彼は感覚だけでわかってくれていたので、僕から演出方法についていちいち説明する必要もなく、それは助かりましたね。そういう撮影方法は、撮影する側としてもすごく気持ちのいいものでした。映像では流れるような彼の動きを一緒に体験できるので、観客のみなさんも同じような気持ちよさを味わっていただけると思います。

実際のメンフィスでは驚かされることが多かった

―本作では、リル・バックを通して、彼の地元であるメンフィスについても映し出しています。貧困やギャングの問題を抱える街ではありますが、現地に滞在されてみて、考えさせられることもあったのでは?

監督 メンフィスはアメリカのなかでも、かなり危険な街として知られていたので、僕も最初はそういう印象を持っていましたが、イメージと違うことが多く非常に驚かされました。まず、僕らが到着したとき、地元のダンサーや住民たちは、はるばるヨーロッパから自分たちのダンスを撮影するために来た僕らのことをとにかく歓迎して、もてなそうとしてくれたのです。

彼らはつねに危険と隣り合わせの生活を送っているにもかかわらず、そういう優しさを僕たちに見せてくれて、その様子には心を揺さぶられました。

―すばらしい光景ですね。とはいえ、撮影中に危険を感じることはありませんでしたか?

監督 撮影をしているときに、貧困地域にも足を踏み入れようとしたのですが、リル・バックや仲間たちに「絶対に行ってはいけない。警察でも行かないくらいだから」と言われて止められました。そういった地域では、けん銃で撃ち合うようなことも日常的に起きているようですから。なので、直接撮影するのではなく、メンフィスの現状については、地元のダンサーたちからの証言という形で映画に入れることにしました。

―そのほかにも撮影するうえで意識していたことなどがあれば、教えてください。

監督 どういうふうに撮影しようかと考えたとき、ヴィム・ヴェンダース監督やジム・ジャームッシュ監督といった名匠たちがメンフィスを舞台に撮った映画が浮かびました。そこで、リアリティを真正面から撮るよりも、そういった映画から受けたインスピレーションをもとに、少し映画的に撮ろうと考えるようになったのです。ドキュメンタリーだとしても、そういった雰囲気を出すことはできますからね。

今回の撮影を通して感じたのは、メンフィスがいかにすばらしい街であるかということ。心の琴線に触れるような温かいところがあり、アメリカのほかの街とは少し違うように感じました。もし機会があれば、みなさんにもぜひ訪れてほしい街です。

大切なのは、自分のルーツを忘れないこと

―確かに、非常に興味深い街だと感じました。ダンスで貧困から抜け出して成功したリル・バックの存在も、メンフィスを変えた要因のひとつになっているのではないでしょうか。

監督 そうですね。彼はメンフィスの若者にとっては誇りであり、インスピレーションの源になっていると思います。ただ、一方的ではなく、リル・バック自身も自分が成功したのはメンフィスのコミュニティのおかげであると自覚しているのも大きいのではないかなと。いまでは街の代表者ともいえる存在ですが、彼は街のコミュニティに還元することをつねに意識しているのです。

―そういうところも、リル・バックの成功を後押ししたものかもしれませんね。

監督 それはあると思います。実際、彼は「メンフィスの人々やダンサーたちに借りがあるんだ」とよく言っていますから。リル・バックはマネージャーと一緒に学校の教育プログラムの開発に取り組むなど、街の未来のために尽力しているところです。そうやって街の人たちとお互いにインスパイアされながら活動をしているのがリル・バックのやり方ですが、自分のルーツを忘れないというのが大切なんだと感じました。

―監督自身も彼と過ごした4年間で、影響を受けた部分もあったのではないでしょうか。

監督 リル・バックというすばらしい存在と出会えたことはもちろんですが、彼のようなエネルギーを持って僕も生きていきたいと触発されたのは大きかったですね。あとは、彼のおかげでメンフィスという大好きな街を発見し、美しい経験ができたのも忘れられない出来事になりました。そんなふうに、作品を通していろいろな人と出会い、さまざまな人生経験を味わえることも僕がドキュメンタリー作家を続けている理由と言えますね。

日本やアジアの映画からも影響を受けている

―そんなリル・バックの姿は、日本の観客にも刺激を与えてくれるものになると思います。ちなみに、監督は日本に対してどのような印象をお持ちですか?

監督 僕は日本が本当に大好きで、これまで2回訪れたことがあります。最初は4年ほど前ですが、1か月半ほどかけて東京、京都、屋久島などを回りました。特に印象に残っているのは、宮崎駿監督が『もののけ姫』のためにスケッチしたと言われている屋久島の森ですね。

2度目は、母に日本を見せたくて旅をしたのですが、彼女は東京がカオスに感じたらしく、危うく地下鉄で迷子になりそうになったことも(笑)。でも、上野公園の近くに泊まったり、京都では哲学の道の近くで一軒家を借りたりして、楽しい思い出がたくさんできました。そんな大好きな国でこの映画を公開できることは、僕にとっても誇りです。

―日本の文化や映画などでも、興味を持たれたものはありますか?

監督 僕は、日本映画をはじめ台湾や香港などのアジア映画がすごく好きなんです。とくにカメラワークが刺激的で、観客にいかにインパクトを与えられるかをきちんと考えた撮り方をしているところがすばらしいなと。そういった撮影技法は今回の作品のなかでもにじみ出ているところがあると思うので、映画監督としても影響は受けていると思います。

―それでは最後に、日本の観客へメッセージをお願いします。

監督 いまはパンデミックなので、来日できないのは非常に残念で悔しい気持ちもありますが、リル・バックは日本のみなさんにとっても興味を惹きつけるような存在だと感じています。ぜひ彼のダンススタイルを学び、そしてとにかくエンジョイしていただきたいです。いつかまた、みなさんと直接お話できる機会があることを願っています。

“メンフィスの光”が世界を照らす!

努力と才能で困難な状況から抜け出し、自らの力で希望と成功をつかみとったリル・バックの姿に、気持ちの高ぶりを感じずにはいられない本作。言葉も国境も超えてしまうリル・バックの圧倒的なパフォーマンスだけでも、一見の価値ありの1本です。


取材、文・志村昌美

心を揺さぶる予告編はこちら!

作品情報

『リル・バック ストリートから世界へ』
8月20日(金)よりヒューマントラストシネマ渋谷、新宿シネマカリテ、アップリンク吉祥寺他全国順次公開
配給:ムヴィオラ
http://moviola.jp/LILBUCK/

©2020-LECHINSKI-MACHINE MOLLE-CRATEN “JAI” ARMMER JR-CHARLES RILEY
© Stéphane de Sakutin - AFP