志村 昌美

コロナ禍で孤独を感じたら…名匠が訴える「心を救う助けとなるもの」

2020.10.1
大人の女性として内面を磨くために欠かせないものといえば、芸術に触れること。そこで、波乱な半生を経験した“現代美術界の巨匠”をモデルに描いたオススメの話題作をご紹介します。それは……。

各国で絶賛の『ある画家の数奇な運命』

【映画、ときどき私】 vol. 326

ナチ政権下のドイツで、少年のクルトは叔⺟の影響を受け、芸術に親しむ⽇々を送っていた。ところが、精神のバランスを崩してしまった叔母は安楽死政策によって、命を奪われてしまう。

終戦を迎えると、東ドイツの美術学校に進学したクルト。そこで出会ったエリーと恋に落ちるが、その父親こそがクルトの叔母を死に追いやった張本人だった。しかし、そんな残酷な運命に気づかないまま2人は結ばれる。そして、ベルリンの壁が築かれる直前、2人は西ドイツへと逃亡を試みることに……。

本作で主人公のモデルとなっているのは、オークションで数⼗億円の価格がつくことで知られ、2012年には生存する画家としては最高金額で落札されたアーティストのゲルハルト・リヒター。そこで、こちらの方にお話をうかがいました。

フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク監督

2007年には『善き⼈のためのソナタ』でアカデミー賞®外国語映画賞を受賞したドナースマルク監督(写真・右)。13年振りに祖国ドイツを舞台に描いた最新作では、激動の時代を背景に、歴史の闇と芸術の光に迫っています。今回は、作品完成までの道のりや監督が思う芸術の必要性ついて語っていただきました。

―今回は、リヒターさんへ1か月にわたる取材を敢行したのち、制作に取り掛かったそうですが、取材のなかで感じたリヒターさんの印象を教えてください。

監督 確かにリヒターは、僕にとってインスピレーションの一部ではありました。ただ、僕が関心を持っていたのは、彼の芸術家としての本質。あらゆる成功者が抱いている野心や成功したいという強い動機は、彼のなかにもありましたが、そういう個人的な面に興味はありませんでした。あくまでも彼の芸術家としての“エッセンス”にフォーカスしたかったのです。

―そういった思いは、俳優への演出面にも影響を与えましたか?

監督 そうですね。主演のトム・シリングから「身振り手ぶりは、リヒターのまねをしたほうがいいですか?」と聞かれたとき、「ものまねは必要ないよ。君は俳優なんだから自分自身でいてほしいし、僕が書いた脚本のなかのキャラクターを自分のなかに探してほしい」と伝えたほどでしたから。

―なるほど。では、リヒターさんと過ごした時間のなかで思い出に残っているエピソードがあれば、教えてください。

監督 リヒターと出会って何週間か経ったとき、彼が子ども時代を過ごしたドイツのドレスデンという街に行こうと誘ってくれました。そのとき彼は「一緒にプライベートジェットで行かないか?」と言ってくれましたが、そういう部分は僕が作り上げたキャラクターのイメージとはまったく異なるものだったんですよね……。

そういった思いから、その誘いを断った僕は冷たい電車に乗り、10時間もかけて自力でドレスデンまで行ったんですよ(笑)。

人生の大事な瞬間にリヒターの作品と出会うこともあった

―作品のためとはいえ、すごいですね。その後、リヒターさんは完成した作品に対して感想をお話されることはありましたか?

監督 実は、彼はまだ観ていません。でも、その理由はよくわかります。なぜなら、クルトは彼とは違うキャラクターであるとはいえ、自分の半生にあまりにも近く、しかも人生のトラウマ的な部分を大きなスクリーンで観ることは、つらかった時期をもう一度生き直すことであり、痛ましいことだと思いますから。

もし、僕だったら同じように観たくないと思うでしょうね。なので、今回はできあがった脚本を僕が全部彼に読み上げました。その段階で、あまり観る気になれないとおっしゃっていたので、僕もそれはすごく理解できますとお答えしたほどです。

―今回は、取材で知った内容を必要に応じて使うのは自由だけれど、映画のなかで何が真実かは明かさないという約束をリヒターさんとされたそうですね。その制限のなかで難しさを感じることはなかったですか?

監督 実はその制限は、僕から提案したアイディアだったんですよ。というのも、そういった制限を設けることで彼が安心して話をしてくれるのではないかと考えたからです。「これはフィクションになるんだから」と思えば、話しやすくなりますよね。

―見事な交渉術ですね。ちなみに、監督の人生において、重要な瞬間にリヒターさんの作品と出会うことも多かったそうですが、そのなかでも忘れられない出来事といえば?

監督 私の初長編作品である『善き人のためのソナタ』を作る際、当時すでに有名だったウルリッヒ・ミューエに主演をお願いしに行く機会がありました。彼は脚本を気に入ってくれてはいましたが、気がかりだったのは、僕が初監督であるということ。やはり初めての監督を信頼するのは、俳優にとってもリスクのあることですからね。

そういったこともあり、彼は2回ほど僕を自宅に呼んで、インタビューをしたのです。僕にとっては、彼が引き受けてくれないとこの映画が作れないというプレッシャーがあったので、非常にストレスのかかる状況でした。そのとき、リビングのソファに腰を掛けていた彼の真後ろにあったのが、リヒターの有名な作品のプリントだったのです。

純粋な芸術とは“魂の表現”のこと

―その作品から何か得るものがあったのでしょうか?

監督 ウルリッヒが芸術に関するアーティスティックな質問を僕にしているとき、ずっと目に入っていたのはリヒターの娘が顔を後ろに向けている姿を描いた絵。いまでもそのときのイメージははっきりと残っていますが、おそらくウルリッヒにとってリヒターの絵というのは、彼の芸術における参考基準となっているのだと感じたので、それを受けて質問の答えを言いました。そういった出来事がひとつの例ですね。

―劇中では、芸術に対する印象的なセリフがいくつか見られましたが、この作品と向き合うなかで監督が「芸術とは何か?」について改めて考えたこともあったのでは?

監督 それはとても大きな問題ですが、僕が常に考えているのは、「まったく異なる表現形態の芸術のなかにある共通点は何か」ということです。たとえば、何かのアート作品を見た人がいたとして、素晴らしい芸術なら、それをきっかけにその人の世界に対する見方を変える力があるはず。それがどんな芸術にも共通していることではないかなと感じています。

ただ、プロパガンダ絵画のように、芸術に目的を持ってしまうのはちょっと違うんじゃないかなというのが僕の意見。純粋な芸術というのは、魂の表現なので、見る人の感覚や心に訴えかけるものがあると思っています。そしてまた、芸術には人々を結びつける力があるのです。

―具体的には、どのようなことでしょうか?

監督 たとえば、哲学的な疑問としてよくあるのは、「どうして自分の周りにいる人がロボットではないとわかるのか?」というもの。それをどうやって証明できるかの答えのひとつが芸術にはあると思っています。

自分が深いところで感じたものを表現したとき、相手も自分と同じように感じることがありますが、それによってお互いを理解することができるのです。そういったものが純粋な芸術には存在するのだと、今回の作品で考えさせられました。

この作品が人々の助けとなることを願っている

―コロナ禍でドイツ政府は「芸術やアーティストは生命維持に必要不可欠な存在」として大規模な支援をし、日本でも注目を集めました。こういった状況下で、なぜ私たちには芸術が必要なのだとお考えですか?

監督 経済的な問題で社会が弱くなっているときやいろいろな葛藤が生まれている危機の時代こそ、芸術が大切だと僕は思っています。それゆえに、芸術に対する支援は増やされるべきであって、決して減らされるべきではありません。

特に、コロナが原因でほかの人と接触する機会が減り、1人で過ごす人が増えているなかで、「いったい自分の価値とは何なのか?」「自分は何を感じて生きているのか?」といった問いと向き合う時間も増えていますよね。そんなときに、芸術はその助けになると思っています。

そういったこともあり、この作品もいまの時代によりインパクトを持って受け入れられたらいいなと。なぜなら、本作は一人の人間が自分自身を発見する物語でもあるので、同じことに直面している人々の助けになればと願っているからです。

―最後に、監督が映画や芸術を通して続けていきたいことはありますか?

監督 僕が映画を作るときに優先しているのは、まずストーリー。たとえば、何年も寝ても覚めてもずっと考えられるようなストーリーなら、映画にしてもいいのかなと思っています。というのも、僕にとっての悪夢は、おもしろいと思って作り始めた作品だったのに、途中で自分がその物語に飽きてしまうこと。自動的に作業しなければいけなくなるような状況は最悪ですからね。

それくらい自分を魅了し続けるストーリーを探すことが大切だと思っています。おそらくそういった物語は僕の核心を突くものであり、ある意味で“自画像”のようでもあると思いますが、それは事前に意図したものではありません。できあがった作品を観てはじめて、無意識のうちに意識していたことに気がつき、自分自身が見えてくるものなのです。

深い感動を味わい、余韻に浸る!

時代と運命に翻弄されながらも、苦しみのなかから希望を見出した主人公を描いた本作。その姿に心を揺さぶられるとともに、芸術の持つ力強さを感じるはず。脳裏に焼き付く圧倒的なシーンの数々を放つ世界観に、身を委ねてみては?

真に迫る予告編はこちら!

作品情報

『ある画家の数奇な運命』
10月2日(金)より、TOHOシネマズ シャンテほか全国ロードショー
配給:キノフィルムズ・木下グループ
©2018 PERGAMON FILM GMBH & CO. KG / WIEDEMANN & BERG FILM GMBH & CO. KG
https://www.neverlookaway-movie.jp/