避けていた精神障害者の兄に妹が感謝するようになった理由 #23
【兄は障害者】vol. 23
閉鎖的だった私たちに新しい風
聞いてほしくなかったこと、話題にだしてほしくなかったことだと思っていた、兄の話。しかし、本当は誰かと支え合って理解したかったのかもしれない……そう、今なら感じます。両親の陰から見ていただけだった私は、兄の相談を誰にしたら良いのかわからず過ごしてきましたが、彼の親身なメッセージを見てからは大きく気持ちが変化しました。
両親も、兄に理解を示してくれる彼に、“家族” として心を開くことができ、長年閉鎖的だった我が家に新しい風が吹き始めたのです。
現状を打破するには……?
兄は、一時期の暴力的な状態に比べると、本当に穏やかになりました。精神安定剤を飲んではいるものの、病院の回数も格段に減りましたし、テレビを見たり、パソコンで音楽を聴いたりと、何かに集中することができるようになったことも大きな前進です。
しかし、今の暮らしを続けるとなると、診断書を提出して障害者手帳の更新をしながら、障害者年金(または、生活保護)を受け取ることになります。医療費のサポートや、交通機関の補助などは大変ありがたいことですが、それが兄の「生きること」に楽しさや嬉しさをもたらすのかといったらそれはまた別の話になるでしょう。私たちは、兄に「生きがい」を持ってほしいと願いました。
役割を持つことで “生きがい” を見つける
そこで、彼を含めた私たち “家族” のアイデアは、「人は社会の役割を持つことで生きがいを得る。金銭的なサポートも大切だけど、社会との関わりを少しずつ増やし、精神的な自立を支援することにも注力したほうが良いのではないか?」というものでした。
思い返せば、両親は兄が精神安定剤を飲んだり、病院を探したりすることに夢中になるばかりで、社会との関わりに対してサポートすることを忘れていた気がします。閉鎖的になっていたことを反省し、障害を持つ人への雇用があるのか探してみることに……。すると、どうでしょう。
例えば、父の知り合いには、大人になってから喉の手術をして声帯を摘出した人がいました。声が出なくなってしまったのですが、パソコンを使った仕事に就くことができて明るく生活されているそうです。また、私の友人の仕事先にも精神的な障害を持つ方がいるけれど、コミュニケーションが必要な接客業ではなく、裏方として荷物を整理する役割についているとのことだったのです。
今までは、社会復帰をするなんてまだまだ先……と思っていた両親も、兄ができることから始めてみようと背中を押すことに。そして、兄が働ける雇用先を探し、工場で働くという試みをしました。結果は、1か月という短い期間しか続かなかったのですが、それでも兄にとっては大きな社会的役割を果たせたと思います。すぐに、完全な社会復帰ができなくても、少しずつ自分でお金を稼ぐ能力を身につけることができれば、行動範囲や視野も広がると共に自分に自信がつくのではないか。これからも、チャンスがあれば積極的に探していきたいと思っています。
世界でたった一つの “家族” だから
大人になるにつれてできる人間関係は、幅広いものです。しかし、本当に自分が困ったときに助け合える関係や、時には言いたくないことも指摘してくれる関係、そして自分の背中を押してくれる関係、心の中に入り込んでくれる関係は、世界でたった一つの “家族” だと私は思います。
その “家族” というのは、血が繋がっている・いないではなく、包み隠さず人生を共に歩む「絆」のこと——。それに気づくことができたのは、彼、両親、そして兄のおかげです。
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