【スタート!】走り出した4人の運命は? グアムインターナショナルマラソン挑戦記②

2015.5.14 — Page 3/3

心から謝りたい!

遠藤 まかされた私ですが、そんな余裕はなく(笑)、進むこと数km。道路のわきにそれ、盛大に、胃の中の内容物を嘔吐(あ、メンマさん!)。このとき見た、前夜に食べた豚骨ラーメンのメンマが、そのまま消化されずにでてきた姿は、今でも鮮明に脳裏に焼き付いています。GIMのスタッフのどなたかに、片付けさせてしまうことになってしまい、本当に申し訳ないです。

斉井 私からも謝っておきます(笑)。

遠藤 でも、嘔吐した後は、体、軽っ! と、具合が戻り、ようやくここから通常通り走ることができるようになりました。なんでもっと早いところでてくれなかったんだー! と考えつつ、前半でペースを遅く走っていたので、足の疲れもそこまでなく、かなり快調に走ることができました。ようやく周りも見ることができるようになり、沿道の人の応援がすごく励みになりました。こんな真夜中にもかかわらず、子供たちもたくさん応援してくれたり、すっごく楽しく走ることができました。

給水所。
給水所。ボランティアの方々の応援が嬉しい。

-40キロまでの状況はいかがでしたか?

斉井 折り返し後からの体調の悪さは続いていて、でもいつか力が戻り走れるって信じて進んでいました。32Km地点くらいで高橋選手のチキンの提供。嬉しいけど嬉しいけど、辛くて元気がなくて、塩対応。あとで聞いたら「肉かい!」って捨てゼリフを吐いたらしいです。私。余裕がありませんでした(謝りたい気持ちでいっぱいです)。

遠藤 私からも謝っておきます(笑)。

斉井 日が昇ったときと時計が4’00’00になった時に、ドライな私が初めてマラソン中に涙が出ました。泣いてることがすごくダサく感じでしまったのですが、走りたくても走れないという悔し涙が止まりませんでした。ペースのことばかり考えて生きていましたが、小野塚コーチの「ゴールは逃げない」というあまり気に留めたことがなかった言葉が蘇ってきました。遅くてもいいから進もうと思いました。涙が出たときには日が昇っていたので、私を静かに見ていた太陽と綺麗な綺麗な光る海の景色にハッとしました。悔しいくらいに綺麗な綺麗な絶景でした。

ーその後は?

斉井 だいぶスーパースローで走っていたら、日本人のおじさんランナーが抜く時に「頑張らなきゃダメだろ?」って声をかけてもらい、また気持ちを取り返したり、沿道のカタコトの「ガンバレー」もちゃんと聞いていました。38、39Kmとだいぶ少しずつだけどゴールに近づいていて、一体いつゴールできるんだろう、タイムも予期できない。4時間半も無理で、次は5時間もムリなのだろうかと思っていたら、するとその時「みんなで頑張るぞー!」っと大きな大きな声が後ろから聞こえました。そうだ、「4時間半ー5時間でゴールしたい人のために一緒に走る」って高橋選手が前日言ってた・・。自分は4時間ギリだと思っていたので、実は関係ない話だと思っていましたが、高橋選手が迫ってきていると一瞬で認識。歩きに近いランニングで辛さしかなかったのに、いきなりすべての重みが抜け、高橋選手から逃げたい衝動に駆られました。ラッキーなことに大好きな下り坂からの上り坂が見え、振り返りもせずにここでその時にできる猛ダッシュ!! まぁ7分00秒/kmにまでしか上がってなかったですが、やっとランニングらしい形で姿勢を正し、走り始めることができました。

Qちゃんパワー!

遠藤 朝日が昇り始めて、空が明るくなってきたとき、グアムの美しい海を見ながら走ることができました。ゴールすることは諦めないで走ってきて、こんな美しい景色を見ることができて、本当に良かった。と、心の底から感動して、涙がボロボロでました。が、やはり泣いているとタイムがさらに遅くなってしまうので泣きやみ、景色に感動しつつ、もくもくと走り続けました。GIMスタッフ、沿道の方々にはたくさん応援していただき、一つ一つ応援の声に感激したり、英語の応援の新鮮さを感じたり、32km地点で、高橋選手にほぼスッピン状態のスタート前とかなり変わってしまった顔の私にもかかわらず「ドディ!」と気が付いていただいたり、とにかくすべてに感激していました。最後のほうはずーっとことあるごとに、「ありがとうございます」「ありがとう。センキュー」とか言っていたような気がします。途中で日本人のランナーのかたに「あと少し、頑張ろう!」と声を掛けていただきました。海外で、日本人の方と、しかも同じ頑張りをしている方と声を掛け合うと、それだけでものすごい連帯感が生まれました。

尾谷 32キロ地点まではまだ走れたのですが、そこで高橋尚子選手に励ましてもらったあと、ひとつの目標を達成した安心感から失速。吉田さんと走ったり歩いたりしながら、「後10キロ」「後9キロ」といって励ましあいながら進みました。

吉田 うん、うん。

尾谷 そのころには周りを走る人もまばらで自分の目の前に2~3人見えるくらいになっていました。海を眺めながら、前を進むことだけを考えていました。歩くのもつらくて足を前に出すだけで、ふくらはぎや足の指に痛みがありました。もう走れないし、歩けないと思いました。給水所では水を飲むほか、膝やふくらはぎに水をかけて冷やすようにしていました。

斉井 だいぶダメージが溜まってきてたんだね。それまで余裕だったまりみる(吉田さん)は?

吉田 ずっと同じペースで走っていましたが、25kmすぎくらいから足が重くなってきました。しかし高橋尚子さんにどうしても会いたかったので32km地点のフェスタステーション(巨大な給水所。ここで高橋さんが待っていると宣言していた)を目指して走り続けました。32km過ぎくらいに「まりみる〜!」という声がして高橋尚子さんがチキンもって待っていてくれたのが印象的で今でも覚えています。その後、少し歩くと全く走れなくなってしまい、ひたすら歩き続けました。周りを見るといつの間にかすっかり景色が明るくなって日差しが暑くなっていました。

こちらがゴール直前のストレート。DJが通過する選手の名を連呼する。
こちらがゴール直前のストレート。DJが通過する選手の名を連呼する。

-ゴール寸前の状況はいかがでしたか?

斉井 ラストスパート(ってゆうほど速くはないですが)、周りがバテテいたので元気に走ると沿道がすごく盛り上がってくれて、抜けば盛り上がるみたいな感じですごく楽しかった。ゴールをすでに終えたランナー達もすごい盛り上がりで応援してくれてテンションがあがってしまいました。うれしかった! 今更だけど、戦う自分にやっとやっと出会えて、最後の目標は一人でも多くの人を抜くこと。時計が4時間49分台なのが見えて、絶対50分台にはならないぞと思いダッシュしました。

遠藤 ゴール近くになって、ゴールできて本当に良かったと泣きだし、ただやはり4時間をまるで切れなかったということは、本当に後ろめたく、とにかく悔しく、泣けて泣けて仕方がなかったです。ゴールする直前、現地のおじさんに話しかけられ、「日本から来たの?」とか「何人で来たの?」とか、たわいもないお話をしました。簡単な会話ですが、日本では体験できないマラソン中の英会話が珍しく、ついついお話をしていましたが、ふと我に返り、4時間半きれるかどうかのぎりぎりのタイム、「おじさん私4時間半切りたいから話してる場合じゃないんだ!」とか若干焦っていました。

尾谷 終盤は上り坂が続き、“苦しい、辛い、立ち止まりたい”と思っていました。早く終わってほしいので、とにかく進まなければという気持ちで泣きそうになっていました。沿道の応援やエイドでのサポートにも応えることができず、もう走れないだろうと思っていたのですが、最後の上り坂を上り終えたところで、やっぱり最後は走って終えたいと思い走り始め、「後●●秒だけ走ろう」と何度も言い聞かせてゴールまで走り切りました。

吉田 足がパンバンなっていて、もう走れないと思っていたのですが、もえさんと会い、一緒に走りました。最後に目の前に大きな坂が見えた時はとても辛かったです。でも、応援してくださってる沿道のたくさんの人々が「Good job!」と励ましてくれました。また明るくなったからなのか、小学生くらいの小さな子もたくさんいました。あと数kmなのに、すごくすごく長く感じとても辛かったです。

 

いよいよ、4人は感動のゴールへ。

Information

グアムインターナショナルマラソン2016 
http://www.guaminternationalmarathon.jp/

PIC(パシフィックアイランドクラブ)
http://www.picresorts.jp/pic_guam/