“いま、傷だらけでも嘘でも、「愛がある」って言わないと”。そんな思いから、これまでにないほど切羽詰まって書き上げたという、西加奈子さんの最新長編小説『i(アイ)』。作中繰り返される「この世界にアイは存在しません。」というフレーズは、主人公と同じく、西さんが高校の数学教師に言われてハッとした言葉。虚数「i」の話を「愛」と勘違いしたのだ。それに対し、主人公アイの勘違いはさらに複雑だった。
「LGBTに当てはまらない人を含めた“LGBTQ”という概念を知ったとき、人間が最初に属するアルファベットがあるとしたら、iじゃないかと思ったんです。自分という意味だし、identityの頭文字でもある。一方でシリアの悲惨な報道を見たり、ヘイトスピーチやいじめの問題が取り沙汰されるなか、人の痛みに対して鈍感になって、愛がなくなってきているんやないかと、自戒を込めて考えたりもしました」
シリアに生まれ、アメリカ人と日本人の夫婦の養子となった主人公は、幼い頃から恵まれた環境に負い目を感じていた。なぜ自分が養子となったのか。自分には恩恵を受ける権利があるのか。悩む最中も世界では悲劇が起こり、多くの命が奪われていく。そんな不安定なアイの心の支えとなるのが、親友ミナの存在だ。
「ミナはすごく優しくて、対等なんです。彼女はアイという個人に対してのすべて、つまり世界でもあるんじゃないかと書きながら気づきました。ふたりの関係みたいに、決して一方的じゃなくて、個人と世界がイーブンに愛し合えたらいいなって」
個人が世界の悲劇を憂えてもどうにもならないかもしれないが、見ぬふりもできない。境遇は異なるものの、アイの葛藤が読者にとって他人事ではなくなっていく。そして、西さんが「一番言いたかったこと」というひとつの光が提示される。
「どんなことも考えるのをやめたら終わってしまう。私自身、弱虫やし自己中やけど、小説では勇気を出せる。正義感のある人だけが動く世界ではなく、ダメなヤツも良き人間として生きるチャンスがあることを、小説に託しています」
小説の世界観を自ら絵で表現した個展も開催。一部が装画にもなっているこの絵は、ダンボールにクレヨンで描いた大作だ。
「壁全部を絵で埋めて、最後のシーンを追体験してもらえたらと思っています。小説を書くのは好きやけどまどろっこしい。絵は頭のイメージをそのままアウトプットできるからスカッとする。今のところ、甘いものとしょっぱいものみたいに、永遠にいける組み合わせです」