会社を辞めて、こうなった。【第40話】 英語習得までの6段階。 バークレーで過ごす2度目の秋。

2016.10.12 — Page 1/2
英語の世界に丸腰で身を投じた結果、「なんもわからん!」と涙目になっていた1年前。バークレーでの2度目の秋は、何が起こっているのかは把握できるようになってきたという筆者・土居。英語習得には、6つのステップがあると言うのですが…。

【土居彩の会社を辞めて、サンフランシスコに住んだら、こうなった。】vol. 40

 

【第40話】英語習得までの6段階。バークレーで過ごす2度目の秋。

カサカサカサッ…と、街路樹の落ち葉を踏みしめる足音が心地よい。バークレーで過ごす、2度目の秋がやってきました。

サンダル姿に落ち葉という不思議な組み合わせ。キャンパスでもニットにビーチサンダル姿といった学生も多く見かけます。
サンダル姿に落ち葉という不思議な組み合わせ。キャンパスでもニットにビーチサンダル姿といった学生も多く見かけます。

そんな秋めいた風景を味わいながら、この時期はインディアン・サマーといって暖かく穏やかな晴天を楽しめるとき。だいたい9月末から11月半ばまで続きます。少し肌寒い8月に比べて暖かい日も多く、ノースリーブ姿で街を闊歩する人たちも!(ただし朝方と夜は冷え込むので、ジャケットやニットなどさっと羽織れるものを持って出かけることは必須です)

でも一体なぜ、インディアン・サマーと言うのでしょう? 

そもそもこの言葉が初めて使われたのはいつか。同じように気になった人は当然いるわけで、例えばアルバート・マシューという19世紀の辞書編纂者。彼が初期のアメリカ文献を読み漁ったところ “インディアン・サマー” という言葉が使われたアメリカに残るもっとも古い文献はフランス人によって書かれた手紙だったとか。1778年のものだといいます。ただしそのときにはすでに多くの人に使われていたということですから、正確な始まりの時期はわかっていません。

ではその語源は? アメリカ先住民をインディアンと呼ぶのは適切ではないと言われることもあり、”実は差別表現なのでは…“ と不安になって言葉の由来を色々な人に聞いてみましたが、これだという答えは得られませんでした。2013年のBBC newsの記事でも ”インディアン・サマー” という言葉が使われていることから、特に攻撃的な差別表現だと考えて使用を控える必要はなさそうです(http://www.bbc.com/news/magazine-23952634)。 諸説あるようですが、やはり有力なのはアメリカ先住民の人たちがヨーロッパ移民の人たちに狩りをするのに適したうららかな小春日和について話し、この言葉が出来たのではないかという説です。

言葉は報酬と罰の公式で学んでいく?

さて、言葉というのは本当に面白いですね! アメリカの心理学者にB.F.スキナーという有名な人がいたのですが、彼は「すべての心の動きは、その人の行動から読み解くことができる」と行動分析学を始めました。スキナーによれば、私たちは褒められたり、報酬をもらえた行動をよく行うようになり、叱られたり、罰を与えられた行動はしなくなるものなのだとか。それが私たちの ”学習“ プロセスだと言います。スキナーは「言語習得の過程も、報酬と罰の公式に当てはまるはず。私たちは言葉を学習によって話せるようになるのだ」と説明しています。

それに猛反対したのが ”現代言語学の父” と言われる、言語学者のノーム・チョムスキー。「子どもは “こうしなさい” と言われたことが無い文法上の間違いをするし、それは他の人から聞いたこともないクリエイティヴな誤り。また “言っちゃいけない” と咎められた悪い言葉もどこからか学んで自分のものにしていく。褒められたり、報酬を得たりと外部から得られるメリットが無くても、言葉を学んでいく。つまり人間には言葉を習得する能力が生まれながら備わっている」と論じます。

実際いまこの歳になってイチから “英語” 習得に取り組んでいる私。つまり気づいたら話せるようになっていた母国語の日本語とは違って、意識的に英語と向き合っているぶんに、双方の主張がそれぞれに正しいように感じます。例えば、アカデミックカウンセラーと履修課程について話していたとき。 “刺激的だけど、コワーイ!” と伝えようと思って “It’s exciting, but scary!” と言ったら ”terrifying?” と尋ねられて、“あぁ、こういうタイミングではscaryではなくterrifyingを使うんだなと思い、”Yes, it’s terrifying” と訂正。その後、機会があるごとに “scary” と言いたいところは ”terrifying” と表現していたんです。ところがある日ふとネットで調べてみるとterrifyingは強い恐怖の意とあり、“そこまでのニュアンスじゃなかったんだよな” と、以降は使うのをやめたということがありました。

しかし便利な世の中になりましたよね。気になることがあれば、すぐに検索して答えが得られるわけですから。帰国時に緒方洪庵が開いた大阪の適塾を訪ねたのですが、入門生たちが1冊しかない辞書を奪い合うようにして夜中まで蘭書を学んだというエピソードに触れ、「ツライとは言っても、今の私はずいぶん恵まれた環境で勉強しているんだなぁ」と実感。1冊の辞書を奪い合うほどではなかったにせよ、インターネットがない時代に海外で学んでいた人たちもただただリスペクトします。