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会社を辞めて、こうなった。【第39話】 日本人であるメリット。 はみ出し者である利点とは。

2016.8.22 — Page 1/2
「これって全財産と人生をかけた心理実験なのでは?」。常に状況をハッキリと把握できず、思い通りにもならないアメリカ生活を受け入れ始めた筆者・土居。どこにも属しきれない、はみ出し者である利点にも気づき始めたようです。

【土居彩の会社を辞めて、サンフランシスコに住んだら、こうなった。】vol. 39

 

【第39話】日本人であるメリット。 はみ出し者である利点とは。

例えば、言葉でお金をもらって生活してきた人間が、言語を奪われた先にどんな過程を歩みながらアイデンティティを再構築していくのか。最近思うんです、私は自分の心と体を使った、心理実験をしているのかなと。私にとっては全財産と人生をかけた壮大な人体実験です。さらにはそれを公開するということで、後にも引き返せません。

私に関してはこうでした。”何が起こっているのか全くわからない“、”今までのやり方が全く通じない” と、まずパニック状態に陥りました。その後、過去の手法を適用しようとしても目の前の問題が解決出来ず、怒りや憤り、嫌悪感。そうして長い絶望状態をさまよった先に、”自分の思い通りにはならないことがこの世界におけるデフォルトなのだ“ と、自分を受け渡して目の前の状況を受け入れる。

「アメリカでこんな過程を踏んでいるよ」と友達に話すと「それって死を宣告された患者が歩むステップと同じだよ」と言われて、苦笑い。でもある意味、死ですよね。過去の自分を破壊して再構築していくわけですから。今はまだ目の前の現実を受け入れた先のステップがどうなるのかはわかりません。いまだに実験進行中ですし、パニック状態に陥ったり、絶望に浸ったりと始終ステップのなかを行きつ戻りつもしているので。ただ、”この世界では全部がわからなくて当然” と思った瞬間に、相手が言っていることが聞き取れるようになったり、本の内容がグンと入ってきたりするもんだなぁとは感じています。本当、人生とはパラドックスに満ちていますね。

なりたい自分でいる。でも、相手の評価は手放す。

「ものすごい鍵がいっぱいあるけど、左のチェーンを切ってしまったら意味ないよね」と友達と爆笑。笑った後に”私こそ、自分の心に無意味な鍵ばかりかけているのでは?“と。左のチェーンを切ってしまう方法を日々模索中です。

「ものすごい鍵がいっぱいあるけど、左のチェーンを切ってしまったら意味ないよね」と友達と爆笑。笑った後に”私こそ、自分の心に無意味な鍵ばかりかけているのでは?“と。左のチェーンを切ってしまう方法を日々模索中です。

先日、秋学期が始まる前にプログラム生たちと食事に行ったんです。その中に今学期から新しくプログラムに加わるという20代半ばの女性がいました。「成績が良くて医学部だったんだけど、途中で勉強についていけなくなってしまって……。で、結局文学部に専攻を変えて卒業したの。それから4年もあれやこれやとブラブラして、今度は心理学がやりたいって思って。だから心配なの。大学を卒業して4年も経ってしまっているから……」と不安そうにしています。そこで彼女に「ヒミツを教えてあげる」と言って、彼女の耳元で「私は大学卒業してから16年経っているの。でも、全てはベストなタイミングで起こっているから大丈夫。あなたも大丈夫よ!」と言ったら、「ひゃあ、若くみえるのねぇ!!」とビックリされました。

若い学生の皆さんに囲まれて1年半も苦しんでいた年齢コンプレックスですが、”自分がなりたい自分でいること”、そして ”相手がどう思うかという反応は、相手ものだからコントロールしようしないこと” 。そうすれば、こんなに簡単に手放すことができたんだと、今はそう思います。誰かのアドバイスや心の栄養になるような本を読むことはとても大切です。私もまた、たくさんの友達に助言をもらったり、そういうことが書いてある自己啓発本や経典を読んできました。でも腹に落ちるまでには、それと並行してアドバイス通りには出来ない自分の不甲斐なさを何度も何度も嫌になるぐらい実際に経験するという過程が私には必要だったんです。

違和感こそが、面白い。

気分をリフレッシュしたいときは近所の丘を登ります。そこで見つけた小石で作ったプチ・ミステリーサークル。ぐるぐるぐるぐる…。見ているうちに「同じような気持ちの人が近所にいる」と、見知らぬ制作者に対して妙な親近感がわきます。

気分をリフレッシュしたいときは近所の丘を登ります。そこで見つけた小石で作ったプチ・ミステリーサークル。ぐるぐるぐるぐる…。見ているうちに「同じような気持ちの人が近所にいる」と、見知らぬ制作者に対して妙な親近感がわきます。

英語がよくわからない、アメリカの文化がどこかすんなりと来ない。歳をとっているぶんに、教授をファーストネームで呼ぶ文化はいまだ馴染みませんし、「What’s up!」なんて気恥ずかしくて言えません。けれどもネガティブに思えるこの点でもある意味、得をしているのかなと最近思えるようになってきました。というのもある研究データを、アメリカ人、韓国人、そして日本人の私のそれぞれが一定の規則に従ってデータ化していたときのことです。それは日本人の参加者のアンケートデータを ”道徳” という基準軸でどう分類するかというものだったのですが―。例えば、「あの人はユーモアがある」という職場での良い評判を、私は「集団の和を保つ」という点で準道徳的だと分類しました。けれども他の二人は「ユーモアは道徳的な基準では分類できない」と言うのです。1対2なので、データとしては「道徳的な基準では分類できない」という分析結果になるわけですが、正直違和感を覚えます。なぜなら、マガジンハウスで働いていたとき「ユーモア」はオフィスの和を保つため、皆がさりげなく配慮して使用する潤滑油であり、社会スキルだったからです。

けれどもこの違和感はどう説明しても満足できるところまでは共有出来ないんですよね。頭で理解しようとしても、お互いに共通する実体験に基づいた知識が無いからです。以前は、「なんで!」と自分の主張を何が何でも通そうとしていたのですが、最近はその違いが「面白いなぁ」と思います。他の人が感じられないところに違和感を持てるところ、これは心理を学ぶうえで強みなのではないかと思います。だから言葉がわからなかったり、予想外の展開が起きたりしてちょっとパニックになりそうになったら、「この常に霧の中にいるみたいな感じも醍醐味」と全てをコントロールしようとする執着心を手放すように心がけています。