会社を辞めて、こうなった。【第29話】 結婚している、立派に働く友人と自分を比べる “羨ましい病” をどう治療したらいい?

2015.12.31
念願のバークレーに入学し、最初の成績は、A+という好スタートを切った筆者・土居。しかし、他人と自分を比べる、ある病、にかかってしまった。

長年勤めた出版社を辞めて、なんの保証もないまま単身アメリカに乗り込んだ女性が悩みながら一歩一歩前進して、異国の地で繰り広げる新鮮な毎日を赤裸々にレポートします。

 

【第29話】結婚している、立派に働く友人と自分を比べる“羨ましい病” をどう治療したらいい?

私って、惨め…。

アメリカに来て初めの半年間は、ストーカー被害、突然ホームステイ先を追い出され、財布と買ったばかりのiPhone6を白昼堂々強奪されて…と、度重なるトラブルに見舞われ、勉強どころではありませんでした。ここに来てようやく腰を据えて勉強する環境が整ったけれど再び私の良くないタチ、人と比べて相手を羨ましく思い、自分を惨めに感じてしまうという傾向が勃発! 日本で生活していたころは比較的のほほんとしたもので、あまり誰かを羨ましいと思うタイプではありませんでした。そこで今、自分でもどう対処してよいものかと戸惑っています。

1キロの皮分の餃子パーティ

ベイエリアで暮らしてからハウスオーナーを始め、信じられないぐらいたくさんの人達に助けてもらっています。みんな現在の私がどうしようもない貧乏学生だということを知っているので(来月には再び4か月分の授業料、200万円を振り込まねばなりません…)まさにそれは無償の愛。その中にバークレーで暮らす素敵なご夫婦がいるのですが、先日も「餃子包みに来うへん?」と(誘いかたもスマート)1キロの皮分の餃子パーティを催してくれました。

その会はこちらの男性と人生をかけた恋をし、結婚することになった友人カップルの門出を祝うものでした。みんな大好きな人達なのに、2組のカップルのなかに私…。その構図から思い浮かんだのはdrunk uncle(酔っぱらいおじさん)という言葉です。drunk uncleとは家族や親戚縁者一同が集まるアメリカの盛大イベント、サンクスギビングやクリスマスにやってきては家族写真に写れないほどベロベロに酔っ払い、どうしようもないことを話すタチの悪い独り身のおじさんのことだそうです。「あ〜、絵面的にそんな感じになっちゃいそうだなぁ…。行きたくないな…」と正直思ってしまったちっぽけな私。大好きな友人のことを大好きなみんなに囲まれながら、誰よりも祝福したいのに!

幸せに囲まれると寂しい

ドヤ顔のカモメ。「私が私でなにが悪い?」そう思えたときに、変化が始まります。
ドヤ顔のカモメ。「私が私でなにが悪い?」そう思えたときに、変化が始まります。

それは完全に羨ましさから来る抵抗なんです。例えばハウスオーナーご夫婦のご両親主催の“ザ・アメリカ!”な素晴らしいクリスマスパーティに参加させていただいたときも。ふと我に返れば完全なる家族パーティに紛れ込み、ついこの間まで他人だった私がツリー下から“Merry Christmas!”とクリスマスプレゼントまでもらっている…。かなり不思議な構図です。涙が出そうなほどに幸せで有難いことなのにも関わらず、幸せな家族に囲まれて寂しい気持ちになってしまう自分もいるのです。とあるご夫婦のお鍋パーティに誘って頂いたときもこちらで立派に働く人たちとお話をして本当に楽しいと感じているのに、まったくお金を稼いでいない自分と彼らとの生活水準の違いを思い知らされ、強い劣等感も。私って本当に救いようが無いほど暗いダメ人間…。そして極めつけが友人の結婚を祝う餃子パーティです。彼女は大好きな女性で、こっちに来てからお互いに支えあってきた腹心の友。それなのに羨ましいと思う気持ちのせいで、心からお祝いできないかもしれない。彼女のことを応援していた気持ちは偽物だったの? 自分よりも人が幸せになるようで、嫌なの? そんなちっぽけな人間だったの、私って? 自分を直視するのが怖くて、当日まで参加するかどうかの返事ができませんでした。

そんな気持ちを察してか主催者の友人からは「彩ちゃんのドタンバ参加、大歓迎。ノープレッシャーでいつでもいいし、手ぶらでおいで。で、餃子を包む、包む、包む!」とメッセージが。でっかい…。愛がでっかすぎるよ…。バークレーにある彼女の家近くの図書館で勉強するもモンモンとして全く内容が頭に入ってきません。今までの自分だとここでとるパターンは、参加せずにひとりで過ごし、気持ちがおさまって“善い人”(風)なコンディションに自分を整えられたときに再び会う、というものです。でも、もうそのパターンを変えたいなと思ったんです。だってそんなことをずっとしていたら、本当に大事な人たちとの関係を築けないし。「よし、今夜はdrunk uncleになるぞ!」と意を決し、大好きなコーヒースタンド”Fellini coffee bar”で顔ぐらいの大きさのクッキーをゲットし、クッキー1枚片手に向かったのです(東京時代では考えられないようなラフすぎる手土産、苦笑)。

不完全な私、よろしく!

近所の映画館前の歩道。キュートなモザイクと星マークにズキュン。
近所の映画館前の歩道。キュートなモザイクと星マークにズキュン。

実際に訪ねてみると、確かに軽くいちゃつくカップルたちを横目に心が痛む部分もあったのですが、そんなこと以上に私はこの人たちのことが大好きなんだなぁと再確認できました。よし、この嫉妬心や哀しみも全部ひっくるめて彼らと付き合っていこう。そして、そんな不完全な私とどうか皆さん付き合ってください! そう思えました。しかし皆と食べた餃子と日本酒、信じられないぐらい美味しかったなぁ。こちらに来て以来痛感することなのですが、怖いと思っていたことって一度経験してしまうと、もう怖くなくなるんですよ、不思議な話で。drunk uncle状態ももう怖くはないです。もうむしろ、称号をもらえるぐらい徹底的にdrunk uncleの持ち場をやり抜こうかと思っているぐらいです(それは嘘)。

心理学者カール・ロジャーズの言葉にも“The curious paradox is that when I accept myself just as I am, then I can change”(興味深い逆説なのですが、ありのままの自分を受け入れられたときに、私は変わることが出来るのです)というものがあります。社会人として働く友人や結婚する友人、社会のなかで立派に生きている人たちと自分を比べて羨ましいと思ってしまう。確かにそんな自分のことを「イヤだ!」「違う!」と思うよりも、「ま、そんなところもあるよね、私って」と認められたところから、自分の内側の変化が始まるのかもしれませんね。

自分の小ささ、そして人の大きさ

餃子パーティから帰宅すると日本の友人から小包が届いていました。彼女はアメリカに来る前に壮行会をしてくれた友人のひとりで、同い年。ちょうど私がアメリカに渡ってしばらくしたころ、大切な命を授かり結婚しました。小包のなかには素敵な手紙が入っていて、そこには「あやちゃんは私にはないものを持っている。今お互いの生活は全然違うけど、あやちゃんとはずっと友達でいたいです」と書いてあり、号泣です。本当にみんなスゴイなぁ! なんでこんなめちゃくちゃな私に良くしてくれるんだろう。感謝でしか無いです。会社を辞めてアメリカに来てよかったことは、自分の小ささを思い知れたこと。そして人の大きさを再確認できたことですね。

トルストイが『アンナ・カレーニナ』の冒頭で「幸せな家族はどれも同じようにみえるが、不幸な家族にはそれぞれの不幸の形がある」(望月哲男訳/光文社古典新訳文庫)と述べていますが、実は幸せの形もまたそれぞれなのではないでしょうか。友人が手紙に書いてくれたようにお互いの生活は全然違っていても、それぞれの人生を精一杯生きているならそれで良いのです。だから誰かと自分の生き方を比べて、一喜一憂することは不毛です。

最近聞いている曲は(今もこれを書きながら聞いています)、フランク・シナトラの『マイ・ウェイ』。とても古い、子供の頃の思い出の曲。父の18番です。これを歌うときの父は、周りが引くぐらい本気のモノマネで熱唱するので、家族一同大爆笑。ギャクでしかないというイメージの曲だったのですが、先日歌詞の意味を初めて理解しながら学校帰りのバスのなかで聞き、大号泣してしまいました。

私だけのマイウェイ

友人の小包の中にふさふさした手触りのふくろう(知識の象徴)が。デスクの上で私を見守ります。ハイ、周りと比べずに勉強に集中します!
友人の小包の中にふさふさした手触りのふくろう(知識の象徴)が。デスクの上で私を見守ります。ハイ、周りと比べずに勉強に集中します!

今は勉強に集中し、しっかりと今の自分を感じながら私だけのマイウェイを一歩一歩築いていこうと思います。そしていつか再びお金を稼げるようになったら、お世話になった人たち全員に必ず恩返しをします。

Information

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See You!

お休み中はお酒が飲めて幸せだなぁ〜。
お休み中はお酒が飲めて幸せだなぁ〜。

 

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PROFILE
土居彩
編集者、ライター。14年間勤務したマガジンハウスを退職し、’14年12月よりサンフランシスコに移住。趣味は、ヨガとジョギング。ラム酒をこよなく愛する。目標は幸福心理学を学んで、英語と日本語の両方で原稿が書けるようになること。