会社を辞めて、こうなった。【第52話】 UCSF Osher Center 研究アシスタントに。 不器用で格好悪い自分の人生でも腹をくくる!

写真/文・土居彩 — 2017.6.22
「何かを選択するということは、何かを捨てるということになる。前に進んだら、選ばなかったもののことはもう考えるな」。これは、渡米前に筆者・土居が父に言われた言葉。そして今、彼女が自由と引き換えに手に入れたのは、不格好な自分の姿と圧倒的な孤独。しかしそれらを受け容れだしたとたん、目の前の世界が変わり始めてきたと言います。

【土居彩の会社を辞めて、サンフランシスコに住んだら、こうなった。】vol. 52

 

【第52話】UCSF Osher Center 研究アシスタントに。不器用で格好悪い自分の人生でも腹をくくる!

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“ひょっとして、自分のこと、カッコいいとか思っているんですか?”

これはこの連載についたコメントです。ある回を境に必要以上に自分のことを卑下するのを止めようと心に決めたのですが、そのときにこう指摘されました。

それに対してお答えすると、思っていません。むしろ、とてつもなく自分のことを格好悪いと思っています。ここで洗いざらい心の内を公表することで、今後どんなにバリッとキメてすましてみても、「とはいっても実際問題彼女、全然モテてないし、けっこうな歳なのに寄生虫生活してるんでしょ? 渡米して2年半も経つのにまだ大学院も受験できていないし」とバレちゃうなって。だから、虚勢を張るつもりはありません。でもかといって「私ってダメなんです」と必要以上にレッテルを貼り続けるのは、失礼だなって思ったんです。

誰に対して?

まず、大学を卒業したばかり、タクシーにおける上座がどこかもわからないような世間知らずで何の取り柄も無かった私を一か八かで雇ってくれ、広告営業と編集作業のイロハを教育し、14年間信頼し給料を払い続けてくれたマガジンハウスに。ウッカリ受かってしまった結果、中学から大学までベラボウに授業料が高いうえに機会があるごとに寄付金を募る私学にミラクルな家計のやりくりの末、通わせてくれた両親に。営業職から希望の編集部に異動したばかりの頃、思うように仕事が回せず家で泣いてばかりいた私を支え続けてくれた元夫に。思い悩んだときには辛抱強く話を聞いてくれ、ときには救援物資という形で、応援し続けてくれる友人たちに。この決断に際して、半ば捨てるような形で両親に預けてきた愛猫に。そして今まで不器用ながらも精一杯生きてきた私自身に対して、失礼だなと思ったんです。

また我が身を振り返ってみると、自分を卑下するというのは、どこかで「そんなことないよ」「大丈夫だよ」という言葉を相手に期待している、自分のずるさの表れだなとも気がつきました。それって、すごく相手に重荷。どうしようもなくいびつで、それがほかでもない自分のやってきたことの結果だとは認めたくなかったとしても、その時点での私は、ベストだと思って選択し、精一杯歩んできた道。そのケツをまくり、責任を取れるのは自分だけです。それができる唯一の存在である私がその人生の覚悟を決めてあげられないとは可哀想過ぎます、自分が。そしてそんな自分に関わってくれた人たちに対しても、失礼です。

留学アドバイスはできません。

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「私も今の生活を変えて、留学したいんです。アドバイスが欲しいです」とメッセージをいただくこともあります。頼りにしてくださるのは嬉しい半面、それに対して私には何の助言もできません。ただ自分の経験から言えるのは、今私が自由と引き換えに手にしているのは、圧倒的な孤独だということ。大切な友人たちが母となっていく過程を微笑み見つめ、応援しながら、自分はこの人生で我が子を持つことを諦めるタイミングが来ているという事実と向き合う。お金を稼いでいないことへの劣等感と不安を抱え、たったひとりで立ち続けることの心もとなさ。正直を言えば、毎日毎時間毎分毎秒、”私には生きている意味があるのだろうか“。”このままこの世界から消えてなくなってしまえたらどんなに楽だろうか“ と、衝動的に考えてしまうこともあります。結局これらの強迫観念は “どれだけ自分が愛されているか” とか “評価されているか” とか “何を持っているか” といった外側の出来事とは関係ないもので、自分の中で解消しなければいけないものなんです。だから、それに対してできることは、ただ「これが私の人生なんだ」と認め、そのステージを味わうことしか無いのかもしれません。そこで抱く気持ちを味わい尽くした先に、また次のステージが用意されている。だから、誰かの人生と自分の人生を比べることには、あんまり意味が無いのだと感じます。それぞれがそれぞれ主演の映画を作っている、そんな感じなのかもなぁと。

面接で浮き上がる、自分の立ち位置。

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この数週間一時帰国からアメリカに戻って何をしていたかというと、研究アシスタントの面接を受けていました。それは、プログラム最後に提出した私の論文(マインドフルネス瞑想で体内感覚を鋭くすることでなぜ、心のまぼろし・根拠なき恐怖心から自由になれるのか、といった内容)を読んだプログラム・ディレクターにすすめられ受けた、カリフォルニア大学サンフランシスコ校の研究機関・Osher Center for Integrative Medicineで行われるfMRIというマシンで脳画像をとって、瞑想効果を研究する助教授の研究アシスタント職。報酬は無いけれど脳神経分析に必要なスキルをアシスタント業務のなかで1年間かけて学び、最終的に大学院受験に必要な推薦文を書いてくれるという私にとって理想的な内容でした。

幸いにして履歴書(CV)の時点で落とされることはなく、無事にSkypeでの面接までは行き着き、研究者と約1時間話し合いました。とても素晴らしい人でした。欧米における瞑想研究はほとんど白人を治験者としたものなのですが、アジア人、黒人、そしてLGBTの人たちなど、よりさまざまな人たちの研究結果を得ることで、誰にどういう形で瞑想を提案すると有効なのか。それを研究したいというパッションを持つ人でした。ただ面接は難しかったです。「自分が新しいことを的確に学べるということを表す具体的な例を出して」や「LGBTの人と失礼なく関われることを具体的な例をだして説明して」という質問に対し、私は閉口してしまったのです。というのも、その人がLGBTだからどうとか(逆に私は異性愛者だから、ってことで)いつも何かを背負わないといけないの?と、疑問に感じてしまい言葉を見つけられなかったり、何かを的確に学べるというエピソードを14年間働いてきた出版社での業務を用いて説明しても、それは研究経験が浅いという判断になってしまう。それらが私にはとても難しく感じてしまったのです。とはいえ冷静に今の自分の立ち位置を見直すきっかけになりました。私に欠けていて今後この道に進みたい場合に必要となるスキルは、たとえ違う意見を持っていたとしても、相手を説得できるだけのより高度な英語によるコミュニケーション力とデータ分析ソフトをマスターすること、そして研究アシスタント経験。結果は案の定「より研究経験がある人を選ぶことにしました」と、バツ。「やっぱり私には適性が無いのかな」「私のしたいことって、到底ムリな話なのかな」と思いながらも、GREの参考書を開こうと本棚に向かうと、ふと目にしたのは床に落ちていたカルマ・キッチン代表のニップンさんからもらった小さなカード。そこに書かれていたのは、”Big things have small beginnings” (大きなことは、小さな始まりから)という言葉でした。

ただ、物事とは常に不思議な方向で進んでいくものです。面接官だった研究者が、日本人を治験者にした研究を行う予定の同僚がいるということで別の教授に繋いでくれ、また別の研究アシスタントの面接を受けにサンフランシスコのOsher Center for Integrative Medicineに出向きました。面接中に「マスターなど大学院での学位はありますか?」と聞かれ、「Nothing. I don’t have any degree (なにも、全くありません)」と言い切ると、あまりにその姿が堂々としていたのか、「あっ、でもキミにはジャーナリストとしての経歴があるものね」と逆にフォローされてしまいました。いろいろ話し合った後で「私が研究の最終責任者ですが、チームでやっていますので今日のあなたの印象をチームメンバーに話し、彼らと相談したうえで結果を明日ご連絡します」と言われ、「私は結果に関しては手放しています。まぁそれは運命みたいなものですから。どうぞチームのみなさんと良いご判断を!」と返事すると、心なしか教授がニヤリ。

翌日電話がかかってきて「アヤ、いいえドイさん。どうぞよろしくお願いいたします」と言われました。「私がファーストネームではなく、相手を名字と敬称で呼ぶ文化を持つ日本人だから、”ドイさん“ と言い直してくださったのですね。私もそろそろアメリカのやり方に自分を合わせなければなりませんね」と伝えると、「あえて合わせる必要はありませんよ」と言われました。「では、どうぞアヤと呼んでください」と伝えると、「私もどうぞファーストネームで呼んでください」。初めてファーストネームで呼べる教授と出会えました。そんな些細なことに私は約2年もかかったのです。たぶん私の歩みは、どうしようもないぐらいスローペース。回り道を辿り続ける、不格好な人生なんだと思います。とはいえほかの誰かにはなれません。だから、別にからいばりをするわけでもなく、必要以上に自己卑下するわけでもなく、ただ土居彩をやりきるしかないんだなと思っています。

See You!

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フォーチュンクッキー:
友達に教えてもらったチップ込み9ドルでお腹いっぱいになれる中華料理店。食後につくフォーチュンクッキーのメッセージは、”You love a challenge.”

緑に囲まれた小道:
ヨガからの帰宅途中に一瞬鬱蒼と緑が生い茂るジャングルのような道が。お気に入りの場所。本当にバークレーは美しい街だと、日々胸を打たれます。

トランプ:
道に落ちていたトランプ。ジョーカーは有害なガードだけれど、時として有益なカードにも。英語が第二言語である日本人としてスムーズにいかないことが多々ありながらも、この研究アシスタントインターンのポジションは日本人だからこそ獲得できたものだと思います。

See You!



【これまでの「会社を辞めて、こうなった」】

【第1話】37歳で再スタートって、遅いですか?
【第2話】サンフランシスコ式クリスマスの過ごし方。
【第3話】まるでBar状態! サンフランシスコ図書館は、フレンドリーすぎ!!

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