会社を辞めて、こうなった。【第47話】 心の恩人・おばあさんとの暮らし。 突然の別れと未知への第一歩。

写真/文・土居彩 — 2017.4.26
『物事の良い面だけを伝えようなんて、お前は偽善者だ』。アメリカ生活1日目、初めて会話を交わしたアメリカ人からのひと言です。その後サンフランシスコでおのれの世間知らずぶりを思い知り、彼の言葉の通りだったと迎合しだした私。警戒心でコーティングされたその世界観を完全に変えてくれたおばあさんとのバークレー生活が突然終わることになり---。

【土居彩の会社を辞めて、サンフランシスコに住んだら、こうなった。】vol. 47

 

【第47話】心の恩人・おばあさんとの暮らし。突然の別れと未知への第一歩。

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アメリカ生活初日、私が初めて会話をしたアメリカ人はサンフランシスコ国際空港発シャトルバスの運転手でした。「いったい何しにアメリカに来たんだ?」と聞かれて、何も知らないナイーブな私は、「アメリカの素晴らしい点を日本のみなさんに伝えたくて来たんです!」と答えました。すると、「物事には良い面と悪い面がある。良い面だけ伝えようとするなんて、お前は偽善者だな」と言われてショックを受けたことを覚えています。彼の予言通り、その後世間知らずだった私はあらゆる洗礼をアメリカから受けるわけですが。結果、朝目覚めても天井を眺めたまま立ち上がれず「ココ、アメリカだった……」と絶望的な気持ちになったことも。誰から頼まれたわけでもなく、自分の意志でひょっこりやってきたくせに、です。

どちらかといえば物事の悪いほうばかりに目が行くようになってしまった私の世界観を完全に変えてくれたのは、今一緒に暮らしている認知症のおばあさんです。黒いニットに白髪頭のショートカットがトレードマークの素敵な品のいい女性で、私が編集者時代に撮影でよく使っていたハウススタジオのように自然光がたくさん入る、緑いっぱいの素敵な一軒家に黒猫と暮らしていました。正直言えば、認知症の人と暮らすのは怖かったです。授業へ向かう直前に徘徊が起きたらどうしよう……とか、万が一発作が起こったときの責任はどうとったらいいのだろうとか。でも初めてご挨拶をしたとき、彼女の笑顔がとても素敵だったんです。で、一緒に暮らしてみることに決めました。ま、きっとなんとかなるでしょうと。

おばあさんの周りの人たちもすごくいい人ばかりで、たくさん助けてくださいました。庭で育てた椎茸を毎週届けてくださる、おばあさんの元ヒッピー友達。日本に住んでいるときも椎茸を都会で自家栽培している人なんて会ったことがなかったので、まさかバークレーでそんな体験をするなんて! “急にレトロなケーキが食べたくなって…“ と手作りのケーキをおすそわけしてくれるお友達。私の前におばあさんと一緒に暮らしていた人もなんでも手作りできる格好良い女性で、秋にはおばあさんの庭でできた柿を干し柿にして周りの人全員にギフトしていました。私が行き詰まって電話をかけたら、どんなときでもどんな話でも傾聴してくれました。

あっという間にあの世行き。好きに生きたらいいのよ。

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わたしがいつも自分はこの点が人よりも劣っている、親に心配ばかりかけている、自分が話す英語が大嫌いだと自己批判に暮れていると、おばあさんにいつも言われたことがあります。「人生なんて、あっちゅう間。あっという間にあの世行きよ」。そして「あなたの好きなように生きたらいいの。あなたの人生なんだから」と。ひねくれている私は「でもこのままなんにもなれなくて、お金もどんどん無くなって。この家に居候し続ける社会落伍者になったらどうするんです?」と聞いたら、「わたし、いろんな人見てきたけど、あなたなかなかイイわよ。別になんにもならなくても、そのままでいい。ここでずっと一緒に暮らしたらいいじゃない」。いつも何かにならないといけないと思って生きてきたから、何者でなくても、そのままでいい。このままの私で存在していてもいい。そう思わせてくれる人がいることで、本当に精神的に支えられました。

帰り道、おばあさんと猫がいつもの定位置、大きな窓辺のソファから家の前の木を眺めている姿が見えてくると、すごく温かい気持ちになったものです。学校で落ち込むことがあっても、おばあさんと猫の姿を見たらホッとする。当然血の繋がった人じゃないし、どんなに心を通い合わせた話を前日の夜にしても、毎朝「私の名前はアヤです。8か月前からお世話になっています」と同じ自己紹介から始まるけど、彼女はわたしにとって大事なアメリカの家族だったんです。

そんなおばあさんが施設に入ることになりました。24時間のケアが必要になり、私にはそれができないからです。誰か人を雇うにしてもお金がかかりすぎて無理だからとのことでした。おばあさんの世話人の方からこの告知を受ける2週間前、そんなことが起きるとはつゆ知らずふたりでたわいもない話をしていたときのことです。「もしなんでも叶うなら、何がしたいですか?」と彼女にたずねたんです。「どういう意味?」と聞かれて、「たとえば全財産をはたいてハワイで豪遊するとか、そういうことです」と答えました。するとおばあさんが答えたのは、「私はここでずっとこうしていたい。このソファから窓の木を見ていたい。大きな葉に太陽の光が当たっていて、本当にキレイ」と。はっとさせられました。私はいつも無いものばかりに目をやっていると気づかされたからです。「本当にキレイですね。その美しさに私は今まで気がつきませんでした。それに気づくことができる○○さん(おばあさんの名前)は、本当に素敵ですね」。大事なことをたくさん教えていただきました。

おばあさんの願いはこの家で死ぬまで暮らし続けること。そんな大きな望みじゃないのに、私には叶えてあげられない。悲しさで胸が押しつぶされそうだけど、この胸の痛みはすごく無責任なものなんです。なぜなら私がこの家にこの先ずっと住んで、24時間ケアできるのかといえば、それはできない。私がもっとこの家のことをできていたら、彼女が施設にいく時期をもう少し先に延ばせたのかもしれない。でもいっとき「あれもこれもボランティアでやります」と世話人の方に申し出てやってみたところ、学校との掛け持ちが難しくなって授業をひとつドロップすることになり、徘徊が始まって研究アシスタントの面接をキャンセルすることになり、さらに体調を崩して39度の熱が1週間続いてしまって……。そこで世話人の方に「ここまではできるけど、ここからはやはり私には難しい」と伝えたんです。だから、自分が抱く悲しみの無責任さとおばあさんへの申し訳無さで胸がいっぱいになって、ある日夕ご飯を一緒に食べているときに声をあげて泣いてしまいました。彼女には私が泣いている原因がわからないので、どうしたの? とオロオロしています。「ただ、私は○○さんが大好きなんです。それで泣いています。この家に私を受け入れてくださってありがとうございます」と答えたら、きっと学校で大変だから泣いているのだと思ったのでしょう。「大丈夫よ。私とプー(猫の愛称)とアヤちゃんと一緒にこの家でずっと暮らしていけばいいのよ」と励ましてくれ、その言葉でまた本当にいたたまれない気持ちになって、顔がぐしゃぐしゃになるまで子どものように泣いてしまいました。

彼女との生活はギフト。

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バークレーで過ごす最後の学期、おばあさんと暮らせたことはギフトでした。彼女は経済的にも(家賃と朝食のお世話のエクスチェンジという形で無料で住ませてくださった)精神的にも私を支えてくれました。私が最後まで勉強を続けられたのは、この両方の面から支えてくれた彼女のおかげでしょう。そして彼女は私のモノの見方を変えてくれた人。この世界がそんなに怖いものじゃないのだと教えてくれたんです。おばあさんと黒猫との生活はもう数週間しか残っていません。この家も誰かに貸すそうです。おばあさんとの暮らしはもう存在しない、学校も5月に終わる。そこで、もはやバークレーにとどまる理由はありません。だから今はただ、ふたりで過ごせる残りの時間をできるだけ穏やかなものにしたいと思っています。もう泣かないようにしないと! この街のこの道を歩くことがあと何回あるのだろう…。そう思うと野に咲く花の美しさに気づくことができたり、すれ違う人に笑顔で「Hi!」と言えたり。もっと早くそれができていたら、良かったな。

次にどこでどのように暮らすのか、まだ決めていません。正直言えばもっと勉強したいけど、それは現実ではないかもしれません。本気でやれば学校の外でも勉強はできるのかもしれません。今まで教科書の世界にずっと留まっていたから、ビザと貯金が切れるまで今まで学んできたことはいったい何だったのかと、もっとリアルにアメリカを見たい気もします。安全なおばあさんの家から飛び出すのはちょっと怖いけど、『人生なんて、あっちゅう間。好きに生きたらいいのよ』。

確かにシャトルバスの運転手の人に言われたように物事の良い面だけを見るのは、現実的ではないのかもしれません。でもやっぱり私は、同じことならなるべくそこに光を見たい。彼女と一緒に見た、あの葉っぱに当たる美しい光のように。おばあさんがたくさんの安心と愛情をくれたから、今はこの先の不確かさに不思議とあまり不安がありません。ただ、彼女への愛着があるだけです。次に会うときは、もう私のことを完全に覚えていないと思うけど、大丈夫。私はおばあさんから頂いたギフトを全部覚えているから。

See You!

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写真:ピアス
とても素敵なピアスだったので、お店の人に聞いたら「この店、35年やっているけど、この商品のことを聞いたのはあなたが初めてよ。これはフェニックス(不死鳥)よ」と言われました。

写真:庭
晴れた日の週末は、おばあさんが寝椅子で昼寝をする傍ら、庭で勉強。膝の上には黒猫が。

写真:緑いっぱいの道
緑いっぱい大好きな街、バークレー。あと何回歩くことができるんだろう。

SEE YOU!
スタンフォードのHoli Festivalにて。韓国人の友人Hanaと。



【これまでの「会社を辞めて、こうなった」】

【第1話】37歳で再スタートって、遅いですか?
【第2話】サンフランシスコ式クリスマスの過ごし方。
【第3話】まるでBar状態! サンフランシスコ図書館は、フレンドリーすぎ!!