会社を辞めて、こうなった。【第45話】 突然のプロポーズからの大失恋。わたしの人生、どこへ行く?

写真/文・土居彩 — 2017.3.23
「結婚しようよ」。元カレからの突然のプロポーズに心躍るも、彼が愛しているのは幻想のなかの私だと痛感して大撃沈。一緒に暮らすおばあさんが教えてくれたリアルな幸せのカタチ、そして家族とは?

【土居彩の会社を辞めて、サンフランシスコに住んだら、こうなった。】vol. 45

 

【第45話】突然のプロポーズからの大失恋。わたしの人生、どこへ行く?

みなさん、こんにちは! この2か月間いろんなことがあり、頭の中を整理してから書こうと思っているうち1か月以上も更新できませんでした……。マイペースすぎて、いつもながらごめんなさい。

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何があったかというと……、元カレにプロポーズされたんです。渡米してからの仕打ちに絶望し (第23話)、連絡手段を絶っていたのですが正直引きずっていました。で1年半後、突然彼からFacebookの友達申請が来て承認するも、なんのメッセージも無く、「いったい、どういうつもりなんだろう?」と、「元カレ」「Facebook友達申請」「理由」とGoogle検索すると(古典的! こういう記事をさんざん編集してきた元アンアン編集者なのに……)「イマカノとうまくいっていないため」「元カノは手軽な遊び相手」「単なる興味本位」と燦々たる結果がずらり……。そこで大いに気になりながらも、「いや、勉強に打ち込もう……」と目の前のことに集中し、淡々とこなしていました。

「結婚しようよ」。

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その後半年ほど経った2か月前。Facebookから電話がかかってきたんです。お互いの近況報告をしているうちに突然「結婚しようよ」と言われました。彼の性格上、こういうことを軽はずみに言う人ではないため、あぁ本気なんだと思いました。渡米前も渡米後も本気で困ったときに(わたしはあまり電話をするタイプではありません。が……)電話しても出ない、折り返しは下手すれば2週間後(平均して10日〜2週間)、「助ける」と言いながら実際に行動で示してくれたことは無い……など。今までの恋愛で最も無価値観を感じさせられた相手ながら、「無償の愛ってなんだろう?」「わたしが自分のことしか考えていないからこういう仕打ちに合うのかな?」と、とことん自分のことや人生について考えさせてくれた人ではあります。基本マイペースなわたしがそれだけ自分に向き合えたのは、やっぱりものすごく感情的に揺さぶられる相手(=好き)だったからですよね。そこでプロポーズされたときは、天にものぼる気持ちになりました。

いっぽうで「わたしは決して大和魂を失わないぎこちない日本人だ」と自負しながらも、渡米を境にした “Before土居彩” と “After土居彩” という違いがあります。わたしがアメリカに来てもっとも学んだことは、思っていること、求めていることやゴールを感情に訴えかけるのではなく、正確に伝えるということ。バークレーに通いだして最初の1年間、教授とうまく意志疎通を図れなかったのは、そのコミュニケーション方法に慣れていなかったからだと今はわかります。こちらでは先生に質問しにいっても、まず自分の思う着地点を提示しながら会話をリードするんです。“答えとは先生が与えるもので、わたしはただそれに従えばOK” と受け身じゃないんですね。おそらくアメリカ人と日本人という文化による意思疎通法の違いによるものだと思います。いまだに戸惑うことも多いですがそれがわかった瞬間、まずは自分の意見を持ってから(とはいえ固める必要はありません)、何が聞きたいのかノートに書き留めておき、相談するのに最適な相手を選ぶというプロセスを踏むようにしています。そこで彼との関係性においても同じ過ちは繰り返してはいけないと思って、次の電話で彼の考える結婚生活、そしてわたしの考える結婚生活とはどういうものかと話し合ってみたんです。

おばあさんが教えてくれた幸せのカタチ。

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バツイチ&崖っぷちである今のわたしの結婚観に大きな影響を与えてくれた人がいます。それは今一緒に暮らしている認知症のおばあさん。お金が無くなったときは、いくら自分が勉強し続けたくても諦めるしかないと思っていたわたしの状況を踏まえて、大事な友達がわたしを信用して彼女を紹介してくれたんです。そこで今、朝食のお世話をする代わりに彼女のお家に住ませてもらっています。その現状を「情けない」と言われて、悩んだこともあります。でもそんな自己批判を払拭するぐらいに、おばあさんは私のことを大きな愛で包んでくれ、娘のようにかわいがってくれます。そして彼女はわたしが渡米して以来初めて “誰かに必要とされること” を味わわせてくれた存在。テストの点数が良くても、研究室でもディスカッション時も何をしても満足にできない自分に落胆する日々だったのですが、彼女はそんなふうに自信を喪失している私に対していつも「ありがとう」、「あなたってなかなかイイわよ」ととても素敵に言ってくれるんです。今の自分のままでも誰かの役に立てるんだ、このままの自分でも存在していいんだと彼女が感じさせてくれたんです。

彼女との生活で大きく変わったことがあります。就職してから、また結婚してからも、ひとりでご飯を食べることが多く、デートや接待以外の場で、つまり普段の日常生活のなかで誰かと食事を一緒にする、ということにあまり重きを置いていなかったわたし。でもおばあさんがひとりだと食事を抜かしがちだったこともあって、なるべく一緒に朝食と夕食を食べるようにしているうちに、わたしのなかで変化が起こりました。孔子の礼節とはよくいったものだと思いますが、毎朝ご飯を炊いてみそ汁を作り、箸置きに箸をセットし、一緒に「いただきます」といって空を見ながら今日の天気について話す。この時間がどれだけ他人であるはずの2人の関係性を繋げ、深めていくものかを教えてもらったのです。

今と同じ自分は数年先には存在しない。

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彼女が教えてくれた幸せとは何かを踏まえて、彼に「わたしは結婚とは一緒にご飯を食べることだと思う。非効率だと省けることをあえて時間をとって一緒にすること。そして家とはそれぞれ仕事やほかの世界があったとしても、最終的に必ず帰りたくなる安全な場所。わたしが育ったのは何の変哲もない普通の家です。でも両親はそれを当たり前のように与えてくれた。一緒にご飯を食べ、必ず家に帰るということを、です。当時はそれをそんなに大事なものだと思わなかったし、うっとうしく感じたこともあるけど、今は両親にとても感謝している。何かを当たり前のようにすることには、大きな努力が必要なんだとわかったから」と話すと、数年後にはそれができると思うけど、結婚してもまず2年間は難しいと言われました。そして一緒に暮らせるとしたら、仕事の都合上海外に行ったり来たりするので月の1週間〜2週間だと。昔のわたしだったら、納得したと思います。「じゃあ数年後まで待ちましょう」と。でも今はこう思います。今できないことは数年後にはできないんだと。なぜなら、細胞が生まれ変わるように、今の自分はもう数年先にはいないからです。今体験したいことは数年後には今と同じようには体験できないのです。とは思いながらもやっぱり彼のことが好きなので「ではせめて電話を1週間に一度はしてほしい」と伝えてみました。彼の発言を信じるためにも、その行動を見てみようと思ったんです。その結果、「努力をする」と言われて1週間待ったけど、電話はかかってきませんでした。そこでとても好きな相手だけど、さよならしました。彼が愛しているのはわたしじゃないんだと、さすがにもうわかったからです。

抜け殻のような日々。

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自分からさよならしたけれど、2週間ぐらい今までの人生で無いぐらいものすごく気分が沈んで、生きている意味ってあるのかなとさえ感じました。正直に伝えた思いを無視されると、やっぱり自分の存在を否定されたような気分になるからです。すべてのことにやる気が失せ、渡米理由であり、念願だったGreater Good Science Centerのエディトリアルアシスタントのポジションも獲得したのに、ゾンビみたいな気持ちで日々を淡々と過ごしています。いまは「こうなりたい」という将来に対する欲もあまりありません。大学院に進みたいと思っていたけれど、正直それもよくわかりません。生きているだけでありがたいのにバチ当たりな話ですよね。でもどうしても気分が上がらないんです。とはいえ今参加しているプログラムを修了するためには論文を提出する必要があります。そこでケトナー先生にテーマについて助言をもらいにオフィスアワーを訪ねたときのことです。「最近楽しそうじゃない?」と先生に言われ、「さぁ、それはどうでしょう……」と応えたら、「人生を楽しまなきゃ!」と言われました。「わかっているんですけど……。わたしはあまり自分の感情や人生を味わうのが得意じゃないみたいで……」と言うと、先生が優しく膝小僧を叩いてくれました。何かを言われる以上に心に響き、ちょっと涙が出そうになりました。5月にプログラムを修了するので、本当はこのタイミングで先生に「ここの研究室のアシスタントをしたいから◯◯教授とわたしを繋いで下さい」とか「大学院受験への推薦文を書いて下さいね」とか頼むべきなんですが、今はそういう気分にはとてもなれません。むしろ本当に必要なタイミングで優しく膝小僧を叩いてくれたから、もう先生から必要なものを全部頂いたから十分。本当にありがとうございます……と心から思いました。


おそらく今まで元彼や先生にこうしたいと正確に言えなかったのは、自分のことを深くまで見つめることや、相手の反応がどうであっても自分の選択を認めることが怖かったからだと思います。でも、一度目の結婚でわかったことは、ひとりで居るときの孤独よりも二人で居るときの孤独はもっと心に堪えるということ。今はまるで心に大きな穴が空いたようでとても未来思考にはなれないのですが。空きスペースがないと新しいものも入ってはこられない。スースーする感じを抱きながら、「これも我が人生の第一章」と自分を感じてみたいと思います。

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See You!

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SHINE A LIGHTの写真。
いろいろあっての人生ですね。校内の写真展示にて。

黄色い花の写真。
こっちでは雑草といわれて抜かれちゃうけど、日本に茂っていたらかわいい花だと言われそう。どうフレーミングするかで世界は変わる。

虹の写真。
バークレーに突然あられが降った日のこと。おばあさんに「ちょっと来て!」と呼ばれて一緒にリビングの大きな窓から見た、あられのあとの虹。

猫の写真。
おばあさんの家の猫はわたしの先生。その理由は、心地よい場所をみつける天才だから。

カフェの写真。
学校向かいのカフェで。ラテアートサービスをするようなこじゃれた店じゃないのに、カプチーノを注文するとビックリサプライズをしてくれた。



【これまでの「会社を辞めて、こうなった」】

【第1話】37歳で再スタートって、遅いですか?
【第2話】サンフランシスコ式クリスマスの過ごし方。
【第3話】まるでBar状態! サンフランシスコ図書館は、フレンドリーすぎ!!