高倉 優子

星野 源さんが言う「自分自身に興味がなくなった」の意味とは?

2017.6.11
年間300冊の本を読むブックレビュアーの高倉優子が日々の出来事にからめ、心の本棚に並ぶおすすめの本を紹介する連載です。今回は文筆家としても高く評価されている星野 源さんのエッセイ集をご紹介。楽曲やドラマがヒットして、どんなに人気者になっても「普通の感覚」を忘れない……。そんな星野さんの魅力がギュッと詰まった1冊です。いまだ『逃げ恥』ロスという方もぜひ!

国民的人気者になるということは?

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【本棚ダイアリー】vol. 3

ドラマ『逃げるは恥だが役に立つ(以下、『逃げ恥』)』で、自称「プロの独身」の平匡(ひらまさ)をチャーミングに演じて、一躍、時の人となった星野源さん。もちろんそれ以前にも俳優として、またミュージシャンや文筆家としてもマルチに活躍されていたわけだけれど、『逃げ恥』が彼のキャリアにおいてエポックメイキングな出演作になったことは間違いないでしょう。

自身で作詞作曲を担当して歌った主題歌「恋」(及び、ドラマのエンディングにも採用された振り付け「恋ダンス」)も大・大・大ヒットし、2016年の年の瀬、星野さんをテレビで見ない日&「恋」を聴かない日はなかったですよね? 普段、テレビは朝ドラと時代劇くらいしか観ないという近所のおばあちゃん(80代)が、「星野さんって素敵。恋ダンスもいいわよねぇ。うふふ」と話しているのを聞いたとき、社会現象になるって……国民的人気者になるって……こういうことなのね、と妙に実感したのでした。

爆発的ブレイクの後、『逃げ恥』ロスに陥った人だけでなく、「もっと星野 源のことが知りたい!」と渇望するファンたちに届いた朗報が、最新エッセイ集『いのちの車窓から』(KADOKAWA)の発売でした。雑誌「ダ・ヴィンチ」で2014年12月号から連載していたエッセイ(現在も連載中)に書き下ろし2作を加えた全30作を収録。これまで笑って泣けてやっぱり笑える……そんな軽快なエッセイ集を何冊も発表してきた星野さんですが、今作はいつもと少しだけ趣が違いました。何が違ったかというと、その答えは、あとがきにも書かれています。

身の回りを描写したり好きな人について書くことは、とても面白いです。以前は、ここがおかしいとかこれが言いたい、ということを、なんとか伝えようと必死でしたが、今は言いたいことは特にありません。目の奥に張り付いた景色の残像と、自分の心の動きを、できるだけありのままに文章に落とし込めたら、それ以上に気持ちの良いことはないと思っています。

先日、取材をさせていただいた際、もう少し具体的なことをお聞きしてみたところ……。くも膜下出血のため2013年に開頭手術をした星野さんは、面会謝絶の病室で、来る日も来る日も自分のことばかり考え、自分の心と向き合い続けたそうです。その結果、「自分自身のことや自分の考えにまったく興味がなくなってしまった」のだとか。だからこそ、周囲にいる愛すべき人のたちのことを、車窓の景色をスケッチするかのごとく描かれるようになったのかもしれません。

「普通の感覚」を持ち続けているのが魅力

実際、このエッセイ集には、個性的かつ魅力的な人がたくさん登場します。なかには、笑福亭鶴瓶さんや大泉洋さんといった有名人もいますが、「芸能界の交友録」というよりも、「好きな人たちとの心の触れ合い」という感じで、読むとほっこりします。「星野さん、この人のことが本当に好きなんだなあ」と納得するのです。

さらに、深夜3時に近所の立ち食い蕎麦屋に出かけ、カロリーを気にしつつもつい大盛りを頼んでしまったり、カフェで見かけた柴犬にときめいてみたりするさまに、「あるある!」と共感するネタも満載です。華やかな世界に身を置きながら、こういった「普通の感覚」を持ち続けているところが星野さんの何よりの武器だと思う!(けれど、「新垣結衣という人」など、『逃げ恥』ファンのテンションが上がるエピソードも用意されていて、星野さんはつくづく人を喜ばせることが好きなエンターテイナーなのだと実感します)

綴られているのは、音楽や芝居や執筆を心から愛し、楽しみ、それを職業にしているひとりの男性の「素」の心の声。「自分自身のことや自分の考えに興味がなくなった」というだけあって、「僕が僕が」と自己主張するような内容も一切ありません。自己顕示欲にまみれたSNSの文章に慣れている身としては、そのすがすがしいまでにシンプルで優しい筆致に、心が洗われる思いがしました。そして、こんなことを思いました。

私はいったい何に縛られているんだろう? 世間体とか人の目とか? 「○○はこうであるべき」という刷り込まれた既成概念とか? 自分自身が「こうありたい自分」というイメージとか? そういう鎧をひょいと脱いで、自己顕示欲の一切を手放して、星野さんのように気負わず、自由に、しなやかな文章が書けたらどんなに気持ちいいだろう。いや、書けるように肩の力を抜いてみようじゃないか。ついでに好きな人には素直に「好き」と言い、苦手な人からはそっと距離を取り、あまり怒らず生きていけたらいいな、と。

星野さんを知りたくて読んでいたはずなのに、いつの間にか「気づき」を得て穏やかな気持ちになっている……そんな有意義な読書でした。

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ちなみに、30編のなかでどれが一番好きですか? と聞かれたら、「うーん」と30秒くらいうなって迷った後、「恋」と答えます。そう! あの大ヒット曲「恋」の歌詞が生まれた瞬間のことが綴られているのです。読み終えた後、あらためて「恋」を聴いてみたのですが、星野さんが見たであろう景色(都会の路地裏や古い団地)が、目の前に広がっているような錯覚を覚えました。さらに、頬をなでる晩夏の風や、そこで暮らす人たちの声や、どこかの家から届いた料理の匂いまで感じて……。「やっぱりいい曲だな」と、ますます大好きになったのでした。

Information

『いのちの車窓から』(KADOKAWA)¥1296


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