安心感と嫌悪感。私にアスペルガー診断がおりたとき〜無意識の差別意識の怖さ〜

文・七海 — 2017.1.30
私にアスペルガー診断がおりたのは大人になってからでした。あなたはアスペルガー症候群にどのようなイメージをお持ちですか?差別意識が全くないと言い切れますか?実は、私は知らず知らずのうちに差別意識を持っていたのです―。

あなたはどう認識してる?アスペルガー症候群への無意識の差別とは

私は以前、アスペルガー症候群に差別意識がないと信じていました。生まれつき持ったものに対して差別をするのはナンセンスだ、と。私には、アスペルガー症候群の友人がいました。”普通に” 話し、”普通に” 遊んでいるつもりでした。

あなた自身は、アスペルガー症候群にどのようなイメージを持っているでしょう。「関わりたくない」「かわいそう」—そういったあからさまな差別意識や同情を持っている人もいるのは事実。それは差別ではない、実際に迷惑を被ったことがあるから言っているんだ!—そう主張する人もいるでしょう。しかし、例えば自分がコンプレックスに思っている部分について「関わりたくない」「かわいそう」と思われたらどうですか?悲しい気持ちになりませんか?当事者からすると、それも充分な差別意識なのです。

そうした差別意識を社会から少しでもなくしたい―そういった思いで発信を続けています。一個人の拙い言葉ですが、それが私の願いなのです。しかし、無意識のうちに差別意識を持っていることって、確かにあるのです。実は、私もそうでした。自分自身に診断が下るまでは―。

生きづらかった。交友関係を築けなかった。診断がおりたときの正直な気持ち

私はもともと鬱病患者として精神科に通っていました。私が行ったことのある病院は、心ない精神科医が多くいました。精神科が苦手で、ほとんどしゃべることもなく、向精神薬を処方してもらうのみでした。

あるとき、話しやすい先生に出会いました。そのときに、初めてちゃんと単語ではなく文章として自分の気持ちを伝えました。今までの生活や経験、全てを話しました。そうすると病院を回され、アスペルガー診断テストを受けることになったのです。

今でこそ先生に感謝していますが、そのときの感情はとても複雑でした。今まで生きづらかったのは、私がアスペルガー症候群だったから―。理由付けができて、安心感を覚えたのも事実です。しかし、それと同時に「私がアスペルガー症候群だなんて」という思いも浮かんだのです。そういた思いが浮かんだとき、酷い嫌悪感に襲われました。他人がアスペルガー症候群なのは許容できる、だけど自分がアスペルガー症候群なのは許容できない―。

これって、無意識の差別なんだと思いました。私は無意識のうちに友人、彼らを差別していたのだと。いざ自分が当事者になると、「私がアスペルガー症候群だなんて」という思いが浮かぶ。私は差別していないと思っていた、だけどそれは、差別していないと思っていただけだった―。

自分が当事者だったら。想像したことはありますか?

アスペルガー症候群の人を見て、思うことは千差万別だと思います。あからさまに差別している人もいますが、私のように差別していないと思っているだけの人もいると思うんです。

無意識の差別ほど怖いものはありません。私は診断がおりるまで、アスペルガー症候群の友人を、無意識のうちに見下していたのだと思います。そこに優越感を覚えていたのかもしれません。自覚がなかったぶん、私は自分のことが怖くなりました。

当事者でない人には、想像力を強くして欲しい、と言うことしかできないと思います。もし自分がアスペルガー症候群だったら―。そこに想像力を膨らませて、もう一度自分の考え方を鑑みてみてください。差別していないのではなく、差別していないと思っているだけの自分が見つかるかもしれません。そのとき、ゾッとした恐怖感が襲ってきた人は、きちんと向き合えているのではないかな、と私は思います。本当の意味で差別のない世界を目指すためには、想像力を働かせるしかないのです。

想像力が足りなかった過去の私を猛省しながらあなたに問いたい。あなたは、本当にアスペルガー症候群を差別していないですか?と。


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