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どうして自傷行為は “反社会的” なの? 傷のある私を認めてほしい

文・七海 — 2017.3.24
私は精神疾患を持っています。リストカット、オーバードーズ、根性焼き…自傷行為もしてきました。「死にたいなら死ねば良い」。そんな言葉も投げかけられました。でも、死ねなかったから、私は今ここにいるのです。自殺行為にも及びました。でも、未遂に終わりました。私は ”反社会的” なのでしょうか–。

自傷行為をする当事者の痛み。腕じゃない。心が痛い

自傷行為をしない人にとって、する人の行動は ”不可解” なのかもしれません。正直、私はなぜ自傷行為に及んでいるのかもわかりません。泣きながら腕を切って、腕を焼いて、薬を飲んで、何針縫っても昏睡状態に陥っても、体が痛いのではないんです。腕が痛い、痛みがほしい。だから切っているのではないんです。リストカットをしているときは、痛みを感じません。根性焼きをしているときもそうです。痛みに対して鈍感なわけでもありません。殴られれば痛いし、日常生活のなかで紙で指を切ってしまっても痛いのです。でも、自傷行為をしているときは痛みを感じないんです。決して ”物理的な痛みを感じない人” ではない。自傷行為をしているときになぜ痛みを感じないのかは、私にもわかりません。体が痛いのではなく、心が痛くて、悲痛な叫びを上げているのはわかります。私は何を求めているのだろう。心の痛みを体で表現したいのか–。それすらも分かりません。だけど、ひたすら腕を切って、腕を焼いて。私は気が狂っているのでしょうか–。

自傷行為をする人に向けられる差別的な視線

私の左腕はボロボロです。傷がないところがないくらいボロボロです。私は半袖を着て歩くことができません。温泉にも入れません。何で半袖を着られないのか。何で温泉に入れないのか。それは、差別的な視線を向けられるからです。

あるとき、ふと思います。「あぁ、ノースリーブのワンピースを着たいなぁ」と。ファッション雑誌に出ているモデルさんを見て、いや、街行く人を見て、半袖やノースリーブでおしゃれを楽しんでいる人がうらやましくなります。私だって、半袖やノースリーブの服を着たい。でも、実際に腕に自傷跡がたくさんある人を見たら、あなたはどう思いますか? ”自業自得”、そう言うかもしれません。

あるとき、職場のお客さんにクレームをつけられたことがありました。私は長袖を着ていましたが、ふとした瞬間に腕の傷が見えたのでしょう。クレームの内容はこうでした。「自傷行為をする人なんかをここで働かせても良いのか」。私は言葉を失いました。自傷行為をしてしまった私は、どこにもいてはいけないのだと感じました。

私が自傷行為をしたきっかけは、親のひと言でした。私はとても傷つき、気がついたら手もとにあるナイフで腕を切っていました。そのとき、心が落ち着くのを感じました。それから自傷行為は常習化していき、”悪化” していきました。傷口はどんどん深くなっていき、止めどなく血が流れ、皮下脂肪が見えていました。私は汚い存在です。だけど、だけど。私から流れる血はとてもきれいで、汚い私のなかにあるものだとは思えませんでした。こんなにキレイな色の液体が私のなかに存在するなんて、信じられませんでした。私はそこに安心感を覚えたかったのかもしれません。

私の ”逃げ場” はそこに確かにありました。そこを塞がれると、どうしようもなくつらくなります。自傷行為をしている人に向けられる視線は、冷たいものばかり。どうして私はここにしか ”逃げ場” を作れなかったのだろう。ほかの人はどうやって ”逃げ場” を確保しているのだろう。その ”逃げ場” がマイノリティであり、血という忌み嫌われやすいものを伴うものであるから、私の存在は拒否されるのでしょうか–。

自傷行為に及ぶまでには背景がある。そして、その人も人間です

自傷行為は、それをしない人にとって確かに理解しがたいものなのかもしれません。私はそれを認識しているから、長袖の服しか着られないし温泉にも入れないのです。でも、自傷行為に及んでいる人も、あなたと同じ人間なのです。”逃げ場” の方法が少し違うだけではないでしょうか。

私の場合は心が痛かった。傷跡に安心したいわけではなかった。だけど傷跡は残ってしまった。今でも自傷行為は止められていません。でも、決して傷跡を増やしたいから行っているわけではありません。私は ”反社会的” なのでしょうか。どうして半袖を着てはいけないのでしょうか。一般的に ”見苦しいもの” なのでしょうか。自傷行為をしている人は、私以外にも多くいます。私以外にも苦しんでいる人がいるのです。あなたは自傷行為を ”反社会的” だと感じますか? ”生きていてはいけない存在” だと思いますか? 自傷跡がありながらも ”生きてしまっている” 私は、行き場がないのでしょうか。

傷のある私。傷がありながらも生きている私。そんな人たちが、笑顔で過ごせる未来を願っています。”逃げ場” が違うだけの、あなたと同じ人間であるのだから。


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